グローバル人材を育てる「フィールドワーク」 産学連携で世界に通用する優秀な人材を育てる動きが加速
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「グローバル人材」云々がいわれだした時に、大学の先生たちは、すわ、自分たちの専門を生かす時、とばかりに、外交や紛争、人類学などの教育・研究内容はそのままにして、文学部や社会学部といった学部名の看板を付け替え、「グローバル何とか学部」をたくさんつくりました。国連に就職しよう、とか、国際問題解決の専門家を育成、いったうたい文句を広告していたところも多かったです。
企業の大部分は、実のところ、諸外国、特に中国や東南アジアの営業所や現地工場で何十年も住み込んで働いてくれる若い人が大量に必要になった、というだけでしょう。2,3年で帰ってくる駐在員を送り込むのは、英語さえできず日本人だけの飲み会とゴルフばかりする正社員を家族手当住居手当込みで遊ばせる、ということになるので、さすがにコスト・パフォーマンスが悪い、という事情があるでしょう。国連とか国際紛争のことばかり考えているような学生あがりは、求めている「グローバル人材」とは何の関係もなく、大学では異世界の住人を育成しているように映るでしょう。
結局、企業側が大学でやってほしい「グローバル人材」育成プログラムなど具体的にはほとんどない、ということになります。せいぜい英語のテストの点数を上げることくらいでしょう。あとは企業のおじさんの話を聞く機会を設けてほしい、くらいでしょう。コストを割いてインターンプログラムを実施しているのに、企業に「フィールドワーク」に来られても不快に感じるでしょう。
大学側は、下手に独自のグローバル人材像を追究してもどうせ企業の要望には合わないし、企業の要望に合わせようとばかりすると、大学教育といえるほどのものがなくなってしまうことになりかねません。せいぜい自分たちの信じる教育・研究を続けながら、同時にそれが社会的にも意義があるのだという、困難な主張をしていくくらいしかないでしょう。グローバル人材、という言葉はもう使用をやめた方が良いと思います。
シンガポールや中東の建設工事で働いている南アジア人の事なのか
日本のコンビニで働いている中国人の人か
海外で起業や商売をしている人の事か
多国籍企業のエキスパッツか
どれも全然違う共通点がほぼ無いが唯一共通がグローバルでしょう。
その言葉をぼわっと無自覚に使っている日本人の8割が思い浮かべるのがたぶん一番最後でしょう。
だとしたら簡単です。彼らが行っている大学に行けばいいだけの話です。東南アジアの人もインドも世界中どこでもそうしています。それがグローバル経済というゲームのルールだからです。
不都合な真実ですが、それ無しにはほとんど確率的に無理に近いです。
それが幸せか、良い事か(たぶん良くないでしょうが)はまた別の問題ですが、ともかく定義ははっきりと現実的な議論をした方が良いです。ハーバード学部時代、周りの友達が全員夏のインターン命を賭けていました。しかも夏休みが明けるとすぐに翌夏の仕事探し。なぜ?!と思っていましたが、米国就活マーケットは経験がものを言う世界。インターンで経験を積まなければ新卒で雇ってくれないし、逆を言えばインターンでうまくやれば1, 2年次から将来の内定に目星がつきます。
記事にもある通り、転職が当たり前の時代。新卒で雇う際にある程度の仕事経験を要求するのは企業にとっても効率的だし、学生にとっても就職準備に何が必要かがクリアになります。企業にとっては時期を決めるのもいいのかもしれませんが、就活は学生の将来を左右するもの。就活ルールしかり、人材育成しかり、学生にとってよりプラクティカルな策をとってほしいなと個人的には思います。
(ハーバード学部時代の友達の毎日がいかに効率的だったかという話は2/15発売の著書に掲載しています)