【成毛眞×北野唯我】天才はお金になる。秀才はお金にならない
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注目のコメント
成毛眞さんにお話を伺いました!
もう成毛さんとの対話は毎回楽しすぎて、楽しすぎて。。前回は1時間の予定が2時間半。今回も2時間。あっという間に過ぎました。。😊
発売4日で3万部のベストセラーとなっている
『天才を殺す凡人』(日本経済新聞出版社)は「ビジネスフィールドにおいて、皆がもっとクリエイティブに、自分らしく働くための本」。それを一つの理論を元に、物語形式でわかりやすく書いてます。90分で読める物語にしました。
見どころの一つは、対談の中でも述べている
「天才は物理の世界に生き、秀才は法律の世界に生きる」
「なぜ、天才はお金になり、秀才はならないのか?」
その理由をぜひ、お楽しみください!
成毛眞さんNewsPicksさん、ありがとうございました!成毛さんは天才を知的能力に優れたADHDと定義しましたが、北野さんの方はどちらかというと知的能力の高い自閉症スペクトラム(アスペルガー)に近い概念で語られているように感じました。
ADHDは衝動性が高いゆえに空気を読まない。自閉症スペクトラムは共感性が低いゆえに空気が読めない。双方ともに「空気」が重要な日本においては異質に感じるのは確かでしょう。
ただ、「時代の嘘」を明晰に理解しながら10数億人をどうソフトランディングしようと考えている老獪な中国共産党の幹部達は単なる秀才や凡人なのでしょうか。また19世紀末のベルエポック時代の風俗や世相を描写したマルセルプルーストは天才ではないのでしょうか。
そう考えると、ここでの「天才」はかなり意味の限定された使用法な気がします。もちろんそのような但し書きがご著書にもありますが、それでも本来強烈な価値判断を示す「天才」という強い言葉をあえて持ってくるのは、やはりある種のアジテーションの意図があるように感じます。(NewsPicksの「さよならおっさん」のように)
そう考えるとこれは「共感」に重きが置かれる社会(≒会社)に対しての北野さんなりの壮大なポジショントークとも言えなくもありません。ただ、全ての言説はポジショントーク的側面がありますし、私もそれ自体は全く悪いとは思っていません。往々にして言説を発表するということはその影響によって世間の価値観にゆさぶりをかけるという政治的な試みでもありますし。
ここで定義されている「天才」は私なりに解釈すると「知的能力が高い天然」ということになりますが、世間はもう少しそういう人に寛容になろうというメッセージと理解しました(笑)。賛成です。「論理数学的能力か絵画的能力のどちらかが高くなければ“天才”とは言えません」
天才の具体的な特徴は、
「100パーセントの確率で、ADHD(注意欠陥・多動性障害)。極めて知的能力が高く、さらにADHDというのが、僕の“天才”の単純な定義です」
成毛さんにはかつてインタビューさせていただいたことがあります。
ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブスを語ることのできる人が語る「天才」に、強い納得感があります。
「天才・秀才・凡人の関係性」の図も、天才を見つける話もよかった。
天才でも秀才でもなくとも、知的好奇心は失いたくないものです。