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表現は極端な部分が多いですが、共通テストの課題点が分かりやすく説明されています。ただ何故、このような状況にあるのか。その点は、このセンター試験と共通テストだけを見ていても理解が難しいです。

元々、共通テストの原案は中央教育審議会の平成26年の答申に示されています。そして本答申を読むと、本来の狙いは個別選抜改革にあったことが分かります。

答申では「何よりも重要なことは、個別選抜を、画一的な一斉試験で正答に関する知識の再生を問う評価に偏ったものとしたり、入学者の数の確保のための手段に陥らせたりすることなく、「人が人を選ぶ」個別選抜を確立していくことである」として「具体的な評価方法としては、「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」 の成績に加え、小論文、面接、集団討論、プレゼンテーション、調査書、活動報告書、大学入学希望理由書や学修計画書、資格・検定試験などの成績、各種大会等での活動や顕彰の記録、その他受検者のこれまでの努力を証明する資料などを活用することが考えられる」と、いわゆる学力試験を行わない方向性を示していました。

しかし実際には各大学が個別選抜での学力試験を維持。そのためセンター試験から共通テストへの架け替えのように捉えられ、個別選抜で学力試験をしなくても良いようにこだわった記述式も、個別選抜で記述式をやっているのに必要なのかという議論になってしまった。

なので当初の構想は個別選抜に学力試験が残った時点で大分崩れてしまっているのですが、もう実施が迫ってきました。とにかく受験する生徒に不利益な形にならないことを願いたいです。

参考:新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた 高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/__icsFiles/afieldfile/2015/01/14/1354191.pdf
東北大学のコメントにすべてが凝縮されていると思います。

表現力や思考力に富んだ人材が必要だということに異論はありませんが、であれば各大学が選抜方法を工夫して、そういう生徒を選んでいけばいい。ペーパー上で、かつ公平性が一定程度担保された採点を短時間に処理しなければならない共通テストでそれをはからなければならない必然性が感じられません。

これからは、各大学の個別選抜改革の行方に注目したいと思います。
>文部科学省は、「グローバル化や第4次産業革命に対応しうる人材を育成するため、あたらしい学力評価制度・大学入試制度の設立が必要である」と考えた。

そうであれば、すべての大学に適用すべきでしょう。

おそらく、現状でもセンター試験を受けることなく大学生になった人たちの方が圧倒的に多数派だと思います。

センター試験や統一試験を経ずに大学生になる人の割合が多いのであれば、もはや統一試験の存在意義はないと考えます。

各大学で「とんがった個性のある人材」を選抜する試験を行った方が、よほど有能な人材が輩出できると考えます。
採点の問題は大きいと思います。

模試の採点でも、採点官全員が集まり、サンプルを採点して様々な解答への点数を考慮します。

論述だけではありません。
計算問題でも、解法により微妙に数値が変わるため、解法ごとの解答を検討します。

共通テストで、これだけの手間をかけることは不可能ではないでしょうか。
受験生に悪い影響のない試験にすることを一番に考えるべきだと思います。
英語の入試でいろいろ言われますが、私は英語の能力を4技能ではかるのは賛成です。
公平でないとか、採点が大変だとか、貧富の差に影響されるとか、いろいろ言われます。しかし、英語の能力をはかるのに話す能力を見なくて良いのか?と言いたいです。
海外にいると日本人は英語が話せないので有名です。英語を話していると韓国人か中国人に間違われます。

マークシートのテストで使えない英語の勉強を子供のころからしているので、日本には英語嫌いがたくさんいるのです。英語はコミュニケーションのツールなので話せなくては面白くありません。
これからは話すことに力を入れるべきです。英語は話せるようになると、とても楽しくなります。そうなると自発的に英語を勉強するようになるので、日本の英語力の底上げになるのです。
海外にいると日本はとても尊敬されていますし、素晴らしい技術をたくさんもっている国だと感じます。
しかし、それを伝える日本人が少ないのです。
これからの日本人には英語を話せるようになってもらい世界で活躍してほしいです。
浪人するとセンター試験ではなく翌年の共通テストになってしまう現高校2年生は現役合格に必死と聞きます。

共通テストでの文章題が全体に占めるインパクトはちょっとわからないという前提なのですが、結局点取りのための対策は変わらないと思うし、採点の難しさもあるので個人的にはあまり賛成ではないです。
が、社会に出たらマルバツで点数がつかないことが普通なので、それを大学受験にも持ち込むという意味では一理あるのかもしれません。

しかしそれでも、まずファジーではない世界をそうていするから現実のファジーさに対応できる部分もあるわけで、共通テストとして測るのであれば曖昧な部分はあまりない方がいいんじゃないかなと個人的には思います。
そもそも「思考力」をテストで問うことの無意味さを理解しておくべきです。
テストを課す側も、受ける側も、そして教育現場の方々も。

「思考」とは答のない問題に対して、最適解を見つけていくことなのであって、あらかじめ答が用意されているテストにおいては思考も何もありません。

知っていれば解けてしまう。ただこれだけのことです。
そもそも、地域によって天候が不安定となる1月にやる試験が、果たして公平といえるのか?そこから疑問に感じます。
雪や風で、この時期は公共交通機関が遅延・運休が起きやすい時期ではなく、秋や春にシフトさせた方が良いと思っています。
記事の中にある「「学力の3要素」①知識・技能、②思考力・判断力・表現力、③主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度、の3つを育成・評価することが重要である」、これこそ大学に入って磨きをかけるべき事だと思います。

制度を変えるのであれば、
(1)試験はセンター試験と同じ
(2)提出期限までは何度も受けることができる
(3)自分の最高点を提出できる
などにより基礎学力を身につけさせて、大学側が実施する個別試験でほんとうのチャレンジをする、ことの方が全体の底上げにつながる気がするのですが…

我が子が受験生になる頃には新制度の対象になります。
制度そのものにも暗澹たる思いがありますが、学校の現場が、混乱することへの不安はさらに大きいです。
大学関係者みなが反対する様な意見なら賛成です。
従来の教育に成果があったと思えないので、カオスでいいじゃないですか
カオスを生き抜くのが最大の教育ですから

記事内で気になったのがセンター試験てマークシート方式でなかったけ?
採点員を確保する必要があるの?人の手がいるの?

と思ったら記述式を導入するのね、、、
それなら無理にセンター試験を1月にしなくても、全国共通テストや、TOEFL、TOEICで事足りる様にすればいいのに

むしろセンターを廃止したほうがいいくらいなのでは