なぜ人はプロフィールを盛るのか問題
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朝倉さんと会うとなぜか最近Voicyを収録するのが恒例になりつつあります。今回新年会ついでに新春放談と題し、昨今ネット上でも話題の(?)テーマ、プロフィール盛り問題についてああでもなくこうでもなくと語っています。
旅行に行った時に、千葉の人が「東京からです」と答えがちなのは盛りなのか、分かりやすくするための方便なのか。
これ1つ取ってもどこまでを「盛り」とするかは結構曖昧です。ただこれは嫌味ではなく、ネット時代、テレビのど真ん中で経歴を「メガ盛り」していたショーンkさんは映画になりそうなキャラクター造形だったなぁとか今更ながら考えたりします。
人間の普遍的な欲望の1つ「盛りの世界」は映画や文学と相性がいい分野。人に被害が及ばない限りにおいて、私は人間の業の肯定派ですが。「慶応卒AV嬢だといっぱいいるので、東大卒AV嬢にかえさせてもらいますー」「私は慶応卒なので東大ってつけたいなら東大院卒ですよ」「だれもそこまで見てないんで!」というやりとりを年に何回かする私としては、文化人や有名人については同情することもあります。さすがに出版業界のひとはそんなこと言わないけどテレビなどではかなり強引ですよね。慶応に失礼だと思うんですけど笑笑。
盛るという行為はもちろん、少なくとも実情にプライドや自信がない人がやることですから(神奈川の人は東京出身ですと言わないけど千葉埼玉は言う)、正直プロフィールを盛るのは誰もが恥ずかしいと思うはずです。
自分を大きく見せたい尊敬されたいという普遍的な願望と、その恥とがせめぎ合っているわけですが、少なくともSNSネイティブの若い女の子たちは、私の世代から見たら盛りまくった自撮りが現実と違うことを恥とは思わなくなっているのは事実と思います。むしろ盛って撮る技術が優れていることにプライドがあったりする。自己演出のうまさというのはある意味盛り上手であるわけで、現実との差の恥の部分より自己演出のうまさに重きがおかれる時代なんだろうなとは思います。
とは言ってもやっぱり世代的なものなのか、私の世代は抵抗があるんですけど…人は誰しも素顔を仮面で隠して生きているものです。
盛るのだって数ある仮面の一つ。
面が割れなければ、それだって立派な生きる知恵だと思うのですよ。
仮面の下から他人の素顔が見えても、ほっておいてあげたらいいのです。
あるがままに生きられるのは、釈迦とエルサくらいなものなのですから。