障害児が「普通にいる」クラス求め……「インクルーシブ教育」の壁 「公立」でも一緒じゃないという現実(withnews)
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そう遠くない昔はけっこうインクルーシブだったかもしれません。わたしが小学校入学したころは重度知的障害児が通常学級にいました。ただ、先生一人では手に負えず、お母さんが一日中その子につきっきりでした。1980年代のことです。その後、特殊学級とよばれるクラスができて、障害児という枠で区切られるようになっていったと記憶しています。
あの頃よりも「障害」枠の幅が発達障害などで、違いか均質か、みたいな区分けになってきた印象をうけますが、そもそも人間が均質って気持ち悪いんですよね、きっと。ロボットじゃないんだし。とはいえ、現場ではいろんな考え方や許容範囲の現実があるんだろうと察すると、あらゆる選択肢があってそれが個々の考え方に応じて選択できるようになるといいとは思う。もちろん、引っ越しをする決断などは迫られますが、たぶんそういうことも含めて生きるってことだと思うし。子どもにとって最善の環境を、大人は知恵を絞ってアイデアを出し合い、改善していく他ない。ハンディキャップを持つ子が普通学級を希望した時には、必要なサポートを用意する。色んな個性を持つ子が一緒に通える学校が"普通"であるべきだと思う。
我が子らが通う小学校は色んな個性を持つ子がいる。ハンディキャップが見える子も見えない子も、難聴の子も車椅子の子も歩行補助が必要な子も、各クラスに1名以上いて、国籍も家庭環境も性同一性障害の子もいたが、あえてカテゴリー分けするのも不自然なくらい、子どもは多様性を受け入れている。
私が知らない苦労はあると思う。重度の難聴の子は高学年になると会話についていくのが大変だと聞くし、手話が得意な子はいつも通訳として頼られる。
ハンデのある子にもない子にも一定の配慮があり、補助教員が入るので、お手伝いで負担を感じる事も少なそうだ。
とにかく、子どもは自分と違う友達がいる事に過剰に反応する事なく、当たり前に他者の存在を認めて過ごしているように見える。
それだけで十分魅力的な学校だが、最近は学力向上を目指してか、教師と子どもへの負担が大きくなっているのが気になっている…がそれはまた別の話。