『学校の「当たり前」をやめた』(著 工藤勇一)を読んで思った事と、教育機関が「目的」と「手段」を取り違えがちな原因(諸悪の根源)は企業や公的機関の採用条件にある。大卒縛りはもうやめよう。意味ない。
ザ・電撃パンクゾンビーズ
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コメント
注目のコメント
教育の目的って見失われがち。ちゃんと定義すべきものが実は定義されていないことによる弊害ってたくさんある気がする。
この場で教育の目的として定義された
「子どもたちがより良い未来を歩むため。」
は、シンプルだけど、さらに議論も深まりそうな良い定義。
落合陽一さんが言うように、学校で学ぶコンテンツも大事だけど、トレーニングとしての側面も重要。要は勉強する体力を養ったり、勉強法に関するスキルを学んで確立していったり。そこは大人として親として、自分の子や周りの子たちに教えていこう。就職の条件が「大卒」になってるから、「試験に受かるため」が教育の目的になってしまってる。でも、本来の目的は「1人1人がより良く生きるため」に【自分で考えて行動できる大人】を育てる、であるはず。
誰だって、仕事が出来るかどうかは大卒関係ないって分かってるけど、「大卒」が就職の切符になってるから、怖くて学校をやめられない。最近沢山オルタナティブ教育の本を読んだけど、子供に普通の小学校行くな、とはまだ怖くて言えないです。