落合陽一が文學界の「落合古市対談」で伝えたかったこと
コメント
注目のコメント
問題提起としてはとても良かったと思います。ナイーブな問題で伝え方や内容には炎上する要素があったのかもしれません。それを認めて発信されるのは議論を進める上でとても大切なことです。
私自身は答えを持っていません。津川先生のようにMPHやPhDを持った方々の領域だと距離をとってしまおうとする部分もありますが。
特に医療においては、専門家同士・専門家と非専門家の間で意見の相違があることはよくあります。その際に「答え」にはなりませんが、考え方のツールとして医療倫理の4原則があります。
自立尊重、無危害、善行、正義
(1979年、BeauchampとChildressのもの)
自己決定の尊重、無危害、患者の最善の利益を図る、そして、公正であること。ジレンマがある時に、これに則って考えます。
ここで、公正であること、においては、医療資源の分配という要素があります。
例えば、
①人柄の良い患者にたくさんのケアが行き届き、人当たりの強い患者に少ないケアがいくのは、公正ではありません。
②重症患者に集中治療を施し、軽症患者には軽いケアしか行わないのは、公正です。
③心臓移植を待ち、体外式補助人工心臓が付いている。介助者がつきっきりになるのは公正なのだと思います。補助人工心臓が付いた方々、みなが受ける医療・ケアですので。
⑶脳出血を生じて寝たきりになると移植はもう回ってきません。せめて一度は家に帰らせてあげたい、ペットに会わせてあげたい、家の庭の桜を見させてあげたい、でもそれには医師2人・看護師1人・工学技師1人・ドクターカーと運転士を半日そのためにとられてしまう。それでも、、、医療者はみな連れて帰ってあげたいと思っている。
さて、公正な判断はなんでしょうか。医療資源を極端に分配すると、他の患者にしわ寄せがいきます。でも、しわ寄せがいかないほど潤沢にスタッフがいて、ドクターカーも何台もあれば、家に連れて帰ってあげても公正なのかもしれません。
話がだいぶ逸れましたが、医療費を医療資源と言うべきかはわかりません。ただ、その分配や負担の面も含めて考える必要はあります。GDPを上げるのも1つの解でしょうけど。
コストはコスト、QOLはQOL、で考えることも必要で、その上で全体的検討も必要だと思います。
落合さんの介護や聴覚障害へのテクノロジーやアイデアには感動しています。