先生の業務 保護者が負担? 学校の働き方改革のゆくえ(内田良)
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日本はサービス残業文化のせいか無償でサービスを受けられるものが多いように思います。特に学校は教育以外も含めて生活全般に及ぶため、仕事の範囲が広がりやすい。
そして無償を前提にして考えるから、保護者に移譲というところに解決策を求めてしまうのではないでしょうか。しかし企業で残業が多いからといって、その業務を無償で家庭に求めることはないでしょう。
一度、課外活動や登下校時の対応などを全て有償で捉えてみてはどうでしょうか。つまり課外活動はいわばコーチですからコーチ費用を支払う、登下校に見守りが必要なら人材を雇う。そうやってコストを見える化して、その上でそれを誰が負担するかを考えてみては。それが国なのか、自治体なのか、家庭なのか、それともボランティアなのか。そうすると無駄な仕事も削れるのではないでしょうか。
しかし学校まわりはキツいことだらけですね。先生は大変、共働きの家庭も大変、ひとり親の場合はもっと大変。専業主婦を前提としていた国家システムから生じた「無理」を、サービスやボランティアで乗り切ろうというのが、もう限界なのだと思います。〉学校の内外を問わず「教員は子どものために尽くして当然」と考えられてきた。
昔、塾の生徒の親御さんに、子どもが朝起きないので遅刻したら困るからモーニングコールをかけて欲しいと依頼されたことがある。
「それは僕の業務ではありません」
とお断りしたら、
「教育者でしょう?」
と言われた。
なるほど、確かに早起きするといったことも「教育」なのであり、それが受験に関係すると言われたらそうかもしれない。
教育関係者は、この「教育者」という、「全部」「何でも」感を持つ言葉に縛られている。
僕も一瞬怯んだ。
しかし、その時に浮かんだ言葉は、
「お母さま。体育の先生に、あなたは、教育者ですよね?英語だって教育の一環ですよね?どうにかしてくださいと言いますか? 教育というかなり広いジャンルの言葉を使うのであれば、例えば、それは全てのことを「人間なんだからやれ」と言っているのと同じです。で、この朝起きるかどうかは、本人の問題です。私が介在することではありません。僕は、「母の課題」だとすら思わない。私は学習指導の専門家であり、目覚ましの専門家ではありません。お母様があらゆる子どもの課題を自分のせいと言われることよりも、私にモーニングコールでを求めるのは筋違いだと思いますがいかがですか?」
と答えました。
その人は、怒り狂って、方々で僕の悪口を言っていたと聞いています。
何が言いたいかというと、
「学校内外を問わず」とサラッと書いてありますが、先生が担当するのは「学校内だけ」で良いのではないかと思うのです。
いや、「で良い」はおかしいな。そもそも「学校外」のことを担当することがおかしいのではないかと思います。
少なくとも、アメリカでは、生徒が補導された時に学校の先生が迎えに行くことはありえません。スーパーの店長も学校には連絡しないし。当たり前ですよね。
追記:
で、どうしたら良いかという観点で言えば、
地域のご老人のボランティアもしくは業務委託などをお願いすると良いと思います。親と学校の対立も減るし。
亀の甲より年の功的な部分もあるし。
その財源は、色んな形で今の時代は引っ張れる。
クラファンとか、ふるさと納税とか。内田先生の活動に対して、敬意を表します。
私は元高校教師ですが、今のような教育現場を作った最大要因は3流官庁の文科省であり、教育予算をケチリ続けた悪の枢軸、財務省である事を明らかにせねばと思います。だいたい私が現役の○○年で、仕事量は2倍以上になりました。これほぼ文科省のおかげです。それに今、先進国で最悪の40人学級のままになってるのは、財務省が反対してるからなのは明白な事実です。それに加えて文科省は小学校で、英語、プログラミングの授業を押し付けてきています。また、教材研究が今までより2倍以上かかり、少人数でやらないと意味がないアクティブラーニングを小中高校で推奨しています。これは何を意味してるかと言いますと、多分、将来先生方の仕事は今の2倍以上になるという事です。それに気づいた若い人達から、教員離れが地方から起こっています。新潟、北海道では小学校教員試験の競争率が1.2倍程になったそうです。併願もできますので、ほぼ全員採用なのです。
保護者の皆様に業務を負っていただくのはいいのですが、教員の逆に負担になる事もかなりありますので、もう教員の増員しか無いと思います。でも、すでになり手がなくなってるのも事実でして、泥沼状態です。
まあ、文科省、財務省の無責任さには、アキレマス。