「謝ってるから許してあげなさい」という教育は本当に害悪。ネットでは共感の声
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子供たちのけんかのときに、
弟『ごめんね』
姉『絶対許さない!』
よくあります。
私『今は許せないんだって。ちょっと待とうね~。』
で、少し引き離しておくといつの間にか一緒に遊んでいて、
弟『さっきはごめんね』
姉『いいよ』
なぜかお姉ちゃんから謝ってることもあります。
とりあえずクールダウンの時間は必要かと。
注目のコメント
そんな教育受けた覚えはないなあ。
学生時代には、過ちを認めたら悪意を認めたことにされ、謝罪したら「ことを丸く収めようとしている」と糾弾され、さらに過失を認めたことで、どのように罪を償うかという話がそこから始まったので、安易に謝罪などするもんじゃないなということは学びました。
責任の取るためには、相手に自分の苦しみについて共感してもらう必要があるので、言葉や態度さえ形式を整えればよいというものではないですよね。
半沢直樹で大和田常務が土下座するシーンのセリフ
==
土下座などパフォーマンスだ、いくらでもしてやる。
そうおっしゃっていたじゃありませんか。さあ。
土下座をしてください。仮にも人の上に立つ人間なら
潔いところを見せていただきたい。
どうしました? 部下に頭を下げるなんて、常務のプライドが許さない?
もし、そう思っていらっしゃるのなら、大きな間違いだ。
あなたが謝るのは私じゃありません。
これまであなたが、雨の日に傘を取り上げ
トカゲの尻尾として切り捨ててきた、すべての人と会社です。
土下座をして下さい。大和田常務、ここで終わらせるわけにはいきません。
地べたを舐めるようにしてあなたにすがり
けなされ、さげすまれ、それでも瀕して、家族を、会社を
大切なものを守るために、あなたに土下座をし続けた人たちの
痛みを、怒りを、悔しさをあなたにも思い知っていただく。
土下座してください。やれーー、大和田ーーー。
==
にあるように、土下座自体は単なるパフォーマンスに過ぎませんが、「痛み、怒り、悔しさを思い知っていただく」ことこそが重要なんだと思います。
追記
私の場合、基本的になんでも許します「sorryと言った相手はそれ以上責めない」というのは私の師匠の教えです。怒りや憎しみからは何も生まれませんので。
相手が申し訳ないと言ってる時ほど、更に色んな貸しを作っておくと、もっと良いことが後々あるかもしれません。
教育という観点では加減を知ることが大事なんだろうけどなあ
追記
「sorryは安易に言うものではない、ビジネス上での謝罪の時はまずはapologizeと言いなさい」というのもまた師匠の教えです。これはこの2つの言葉の意味の違いから来ています。非常に共感するのですが、何度謝っても許さない、70年間経っても許さない、1000年恨むという人達もいて、それには同意できない私は、ダブルスタンダードでしょうか?