やりたいことができないのは誰のせい? 何かと理由をつけて欲求を抑えつける悲しい理由
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注目のコメント
「やりたいことやるべき論」には懐疑的です。やりたいこと探しは手段(過程)であって、自己目的化していることもかなり多いのではないかなぁと。また、言葉尻は違えどストレスやコンプレックスの問題と同一視されているのではないかとも感じます。この場合は結局自分を苦しめて終わっていきます。これは本当悲しい。
ちなみに、頭の整理やメモのためにひっそりとnoteも始めました。よろしければご笑覧ください。
「東大でのキャリアイベントで学生に話したことメモ」
https://note.mu/mnomrua/n/ne7ba6b8617e3
以下抜粋
1.「やりたいことが見つからない」ことは悪いことなのか
相当数の学生さんから、「やりたいことが見つからないのですが、どうすればいいですか」という質問を受けました。よくある話なのですが、やりたいことが見つからなければ、何もやらなければよいのだと思います(真面目な話です)。「何かやりたいことを胸に抱いていなければならない」みたいな規範意識は、所詮は就活マーケットが作り出しているフィクションです。齢二十前後で「俺はこれで生きていくぜ!」と信じられる人は、東大を辞めている気がします(特に奨励はしませんが、合理的な意思決定としては有力な選択肢になると思います)。
と、伝えると突き放している感が満載なので、併せてお伝えしたのは下記2.のことです。
(続く...)やりたいことすべてできるわけではない。
自分の欲求に素直に従って、やりたいことやっても、すべてやりきれるわけではない。だから思い切ってやろう。
少しでも多くやりたいことをやるには、できない理由なんて考えてる暇はない。どうやったらできるかを考える。
もちろん、それに時間をかけすぎるのは本末転倒。勘で動いてもOK。
スティーブ・ジョブズが言ったこれ、本当に大事です。
“Have the courage to follow your heart and intuition.”天才と凡人、君子と子などと区別すると語弊がありますが自己肯定感の高まる自然な生き方と自己肯定感の下がる不自然な生き方の違いは明確に存在します。というのも自分で自分を大切にすれば自己肯定感は自然と上がっていくものなので不自然な教育に晒される前の子供やそこから開放された老人では基本的に自己肯定感が高めです。そもそも自分で自分を大切にしない生物は人間だけではないでしょうか。
その背景として人間は他の動物に比べ頭が良いので先入観で判断しがちなのと、資本主義が生む物質化した快楽の数々、失敗を嫌い自己犠牲や相互依存を好む文化的背景、そして「私も辛いのだからお前も苦しめ」という不幸の連鎖などが原因でしょう。そんな逆風の中で自分で自分を大切に生きるには周りからの評価を気にしない強さか、その都度win-winな折衷案を探し出す努力が重要でしょうね。