自律走行車は倫理学上の難問をどう判断すべき? 233カ国で調査して見えてきたこと
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マイケル・サンデル教授の「白熱教室」でも冒頭に出てきた「トロッコ問題」についての現代的な問いかけ。まだまだ自動運転技術は、この究極の選択をしなければならない技術領域にないので保留にできるようだけど、いずれはベンサムの「功利主義」と対峙する日が来る。
リスクを恐れて技術開発が止まっていけないのは当たり前だし、事故が起こらないように万全の準備をするも当たり前。しかし原発の過酷事故と同じで、絶対にそんなことは起こらないと思い込んでいる時に限って、シビアアクシデントが襲う。だからその時を想定して対応策を考えておかないいけないことを、日本は学んだ。案外その時はすぐに来るのかもしれない。
注目のコメント
以前にもピックしたことですが(まあ開発の現場にいる人には言うまでもないのですが)
自動走行のトロッコ問題、重要ではないとは決して申しませんし、面白い問題でもあります。
でも面白いが故に、実際の相対的重要性に比べてメディアに取り上げられる頻度が不釣り合いに多いように感じます。
現実の自動運転は、もっと低いレベルでの信頼性確保が目下の最重要課題です。つまりそもそも道に急に走り出てくる女の子をちゃんと認識できるか、その行動を予測できるか。
まあわざわざ小言を言う必要もないかもだけど、実際の重要性ではなく、メディアへの取り上げられやすさによって技術開発への投資の優先度が付いてしまうのだけは避けて欲しい。
もう1つ辛辣なことを言うと、メディアに取り上げられやすい技術ネタというのは、倫理学のように「理系でなくてもわかる」ものが多いですね。一方には技術側が一般の方に分かりやすい言葉で説明することを怠けているのが原因でしょう。他方では、最先端のことに首を突っ込みたいけれども今から数学や工学を勉強し直すほどガッツのない人が、勉強しなくても分かる物だけ手にとって技術的最先端に関与している「気になっている」面もある気がします。
今の時代、理系の人間はコミュニケーションを、そうじゃない人間は理系的知識を、真摯に勉強する必要があります。
https://newspicks.com/news/3347137?ref=user_198783
【余談】そういえばよく講演会などで受ける質問が、「理系でなくても宇宙開発に携われますか?」です。その質問は「運動しなくてもスポーツに携われますか?」というのと同じです。答えはYes。スポーツでも、クラブ運営や裏方の事務や広告やエンターテイメントとして関わる方法はいくらでもあります。でも表舞台には立てないし、裏方でも自分で運動をする経験が様々に生きるでしょう。宇宙も、理系でなくても関わる方法は山ほどあります。例えばうちはアーティストを雇ってたりします。でも、まだ若いなら、数学や物理から逃げないで、まずは正面からぶつかることをオススメします。
【余談2】数学や物理なんてできなくてもロケットを作れる!と息巻く人もいるかもしれません。数学と物理は、スポーツに例えるなら筋トレや基礎トレです。もちろん筋肉がなくてもスポーツはできますが・・・以下、略です。とても違和感を感じる問題設定ですね。
私も、飛行機の制御の設計に携わった事
が有りますが、結果的にはこんな極端な
状況は見出せませんでした。
トロッコ問題だと、トロッコ走行中に
人を近づけない。
十分な距離の先までセンシングして
制動する。
と言った対処をエンジニアはしようと
するでしょう。
問題の分類と深刻度をはかり、それが
発生しない様な方法を考えようとします。
だから、設計の方法の中に、究極の
選択をプログラムすると言う考え方
は無いと思います。
結果的にそのように見えるケースは
有りえるかもしれませんが、
人が意図的にプログラムしている事は
考えにくいです。あらゆる状況を事前に想定できないのだから、自律走行に求められるのは「プログラム」ではなくいわば「ポストグラム」。つまり後からどう対処するかの問題でしかない。
人間だって事前にあらゆる状況でどうするか考えてから運転する人はいないし、咄嗟に倫理上の問題を深く考察しているヒマはない。
道路は常に殺されるリスクのある空間。
研究結果に関しては、想像以上に文化の差が出たなという印象。単一の心理テストでここまで広範な調査がなされた例は珍しいので、自律走行云々とは無関係に良い研究だと思いました。