マネる力の育てかた
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ラジオ初出演。「守破離」ではありませんが、型や社会規範に乗るところから始め、それを突き詰めた先にこそ自己と呼ぶべき何か(の一側面)を発見し得るのではないか、そして、その原点と過程に「没頭」(≒ゾーン/フロー)があるのだろう、というお話をしました。
主宰サイト"若者の哲学"にも掲載していますが、第一線で活躍している同世代の友人らの多くが、幼い頃から時間を忘れて何かに没頭した経験を有していました。最初はLEGOでもテレビゲームでも時刻表でも何でもいいんです。意識的な「努力」の次元を超えて、いわば「日常」ひいては自身という「存在」それ自体たり得るもの(≒性質/資質)が何なのか。師や友人の眼差しを借りつつこの問いの原点と答を獲得できたなら、その状態は幸福と呼んでよいのではないかと思います。
大学・企業のランキングといった社会が規定するフィクションに囚われすぎることなく、各人が自分の性質や資質への理解を深め、それらの発揮を互いに助け合う。そんな社会になっていけばいいと心から感じています。
にしても初ラジオ出演でしたがプロの凄さを感じるばかりでした(そして何とも言えない表情で写ってしまいました...笑)。サッシャさん、テリーさん、どうもありがとうございました!サンキューNewsPicks&古屋さん
<おまけ1: 主宰サイト"若者の哲学">
東四條畷市長(全国最年少市長)や、江戸千家次期家元の川上さん(「守破離」という言葉を書物で最初に用いた川上不白の子孫)はじめ、同世代との対談を掲載しています。
https://www.philosophyofyouths.com
<おまけ2: 高見順「ガラス」>
ガラスが透きとおるのは
それはガラスの性質であって
ガラスのはたらきではないが
性質がそのままはたらきになっているのは
すばらしいことだなぜカタカナ。てっきり「マネタイズする」とかの意味なのかと思った。
よく「学ぶは真似ぶ」とか、「守破離」などと言ったりしますが、そんな大それたことでもないかななんて思ったりします。
確かに一番最初は何かの真似かも知れませんが、大抵の場合は真似というより自分自身のトライアンドエラーの方が遥かに大きな位置を占めています。
様々なスポーツや楽器の練習、職業技能習得を想像してみても、練習の中心は誰かの真似というよりは自己修練のフェーズが殆どです。
コンピュータによる囲碁将棋も、AlphaGo Zeroはルールだけで定石データなく自己学習して人間を打ち負かしました。
守破離によく剣道の比喩が使われますが、剣道というか古来武術の世界は、実戦によるトライアンドエラーを重ねるわけにはいかないので、とりあえず成功者である師匠の真似をきっちりやらざるを得ないという事情があります。
何が良いのかなかなか試しようがないので、一定程度盲目的になるので「流派」が生じるのでしょう。
一方、同じ動きを何度となく繰り返していると、その動きの中でコアになるものを会得した様な感覚を得て、それを元にして応用が利くようになると破離の部分ができるようになるのでしょう。私は昔居合道をかじっていましたが、ひたすら基本の素振りと抜刀を繰り返していたら、そんな感覚を得たような気がしました。モギケンさんが言う一回生ですよね。どれだけ早く、一生をかけられるものを見つけられるか。イチロー選手とかの場合は小学生の時親に野球を教わり、たまたまそれが超フィットして今に至る。だから、裕福な家庭に生まれた子供にたくさんの習い事をさせるのはmake sense. とにかくどれだけ多くの機会に触れられるかに限ると思います。なので小学校の教育なんかは浅く広く、外部講師からボランティアからとにかく多様な環境下に身を置いて経験させることが大事だと思います「まさに仰る通りで・・・」azs.