「延命か自然な死か」家族に迫られる重い決断―終末期医療の現実
コメント
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延命に関して「判断をお任せします」「どうしたいですか?」といった質問は、される側にとってかなり辛い。
患者自身が延命を望んでなくても、家族としては延命を希望する選択になりがちです(良し悪いの観点はおいといて)
「(本人は)どういった最期を希望されると思いますか?」といった形の質問なら、家族の選択が少し楽になるようです。
注目のコメント
「選んで下さい」
そんな医療って。。。救急で家族の選択に寄り添うのは難しいのかもしれませんが、インフォームドコンセントならぬ、インフォームドチョイス、、、要は丸投げ。家族は苦しい思いをさせたくないけど、長生きはしてほしい。何より目の前で患者がそのようなことになって辛いのに、さらにどんな選択をしても辛い選択を丸投げされるなんて。
やはり医療者として寄り添うべきでは??
こちらから誘導するように人工呼吸器を使わない選択にした時に、後から出てきた家族に訴えられるリスクなどもないわけではないので。
もちろん難しいことはわかった上で、大学病院の救命センターにはもう少し家族の選択を軽くしてあげられるような寄り添いをみせてほしい。
終末期のこと、話してないのは医療者の問題と考えています。
話しておく文化が今はまだないので。
ACP、アドバンスドケアプランニング。本人・家族・医療者で今後の治療や療養を話し合う「プロセス」。決めることが大切ではなくて、本人の考え方や価値観を共有したりすること。これをしているだけで、終末期に家族が選択をしやすいし、医療者も本人の意向に沿うという意味でどのような治療が本人の意向に沿うのでは?と提案しやすい。
AD、アドバンスディレクティブ。事前指示。これは呼吸器や透析、点滴など具体的な行為のやるかやらないかを決めておくこと。
DNAR。心肺停止時に蘇生をするかどうか。DNARはしない方針のこと。
なぜかDNARなだけなのに、心停止になる前の状態でも集中治療をしない選択をしたりしてるのが現状。まだまだ医療者にも理解が進んでいません。
高齢化の急速な進行の中で、ここは本当に大切です。
心不全における緩和ケアは、まさに勉強しながら、普及の助力をしている分野でもあります。症状の緩和だけでなく、意思決定支援も我々がしていかなければならないところです。NHKで特集されていましたね。
介護業界を中心に仕事をしていますのでついつい観てしまいましたね。
昨日のサ高住の現状から本日の延命についての選択と非常にリアルな実情を改めて痛感しました。
特に事例にもあったように「延命か否か」をたった10分で家族で決めなければいけません。
「自分の親なら…」と考えるとゾッとした瞬間でもありましたね。
どう生きて、どう死にたいのか。
このことについて家族内でも共有しておく必要がありましたね。
良い番組でした。そもそも、これは二者択一で考えるようなシンプルな問いではない。ただ、少なくとも今のうちから、少しでも準備を始められる家族とそうでない家族とでは、最期にとても大きな差が開いている気がする。
本当は今のうちから、両親や親族と、さまざまなことで折り合いを付けて、すこしずつでもあらゆる負担や責任を分け合いながら背負っていくべきなのだろう。
こないだ、とある知り合いのお母様が亡くなられた。お父様が前年に亡くなって、すぐの出来事だったようだ。
残された子供達からすれば悲しいし、正直待ってほしかったところだろう。でも、自分の仕事上、他で家族間で対立してしまって「生かされている」ケースを多数目の当たりにしてしまっているので、悲しみや苦しみが最小限で済んだのはまだ幸せだったんじゃないだろうか。