オードリー若林「もうすぐ、マウンティングがダサい時代が来る」
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斜に構えることって、自己肯定感の低さから来るものかなと思っていて。その意味では他人に認められること、評価されることで自己肯定感が高まり、尖がなくなっていくのかなあ。
尖っていると、人を見下して、そうすると自分の行動を縛ることにもなる。これが好きなことをやるためのブレーキになっちゃうから、評価される分野にフォーカスすることが好きなことをする近道なのかもしれないなあ。
注目のコメント
相手を見下したり自慢したりすることで得られる優越感は逆に誰かを見上げたり誰かに見下されたりすることで失われます。そのため優越感に依存すると自分の幸せが周り次第という何とも不安定な人生となります。
また幸福感を努力が必要で後味の良い充実感と努力が不要で後味の悪い快楽に分けるなら優越感は快楽に分類されます。そんな優越感は本当の自信がないときその穴を埋めるかさぶたとして機能しますが、自信がつけば自然と卒業できるものです。いわゆる若気のいたり、黒歴史として。いい記事。
一緒に番組やっていても、中々その人の中の話をする機会がないので本から滲み出る部分もありつつ、ダイレクトなインタビューから伝わるものが。
収録でふとした時に、「斜め」ではない若林さんを見る事があり、そういう事なんだなと分かりました。
人生どう生きるか。人の目。自分で設定したキャラからの脱却(何が本当の自分だったのか)など、自分ごととしても考えさせられます。意図しているかは別にして、ある世界で活躍すれば、才能があり、傑出だと評価されてしまうものなのかなと。
つまり、その意味で若林さんの話も、多くの人からはもはや参考にならないと感じられてしまうのだと思います。才能がなきゃこんなに売れない、エッセイなんて書けないと。
ただ、自分にとって、感情移入しやすい相手とそうでない相手がいるだけなんだと思います。成功者の成功前の境遇・意識・経験が自身と比較的近しいかどうか。そして、その感情移入した一部の人には猛烈に刺さる。
それがこれ以上ない素晴らしいことだと思います。