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「ネットに」には賛同できない。ニュースメディアでは、「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる」のが基本姿勢。みんながメディアになった社会で、みんながメディアのように振る舞っているだけ。
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興味深いですね。実社会では政治を話題にすることはタブー視される傾向がいまだ強い日本社会。SNSでは極論を投げて激論を喚起する人が多いとはいえ、基本的な構造は同じなのだろうと思います。政治対立にかかわりたくない人はそもそも発信しないでしょう。しかし、政治にはもともと両極が存在するものなので、それが一定程度は可視化したものだと考えれば、政治構造の分析をするうえで有用な側面があり、個人的にはそれぞれのクラスタをできるだけウォッチしているつもりです。
極めてわかりやすく納得感いっぱいの記事です。記事が指摘する現状の背景には、いわゆるフィルターバブルやエコーチェンバーの問題があります。自分と同じ意見だけが交わされる閉じたコミュニティ。その中で議論が増幅され、そこで強化されたものがが正義と信念を実装してコミュニティ外の人を攻撃するという構図です。温和にのどかに暮らしている人々は怖くてたまりません。ただ、こうした現状をみんなが認識することで社会全体のリテラシーが高まり、乗り越えていけると私は考えています。いいね!やリツィートが発明されるまで、ネットの世界は罵詈雑言と誹謗中傷だけの世界でした。当時から見ると、ネット世界のモラルは飛躍的に改善されています。私は楽観論者です。
去年の文化庁調査でも、炎上を見たら参加する、という人は調査対象者の2・8%にすぎないという結果がありました。
とかく過激で極端な主張や声が目立つネット空間ですが、そういう人はごく一部であるというのは、もう定説といっていいでしょう。その意味で、この調査は新しい切り口を提示したというよりむしろ定説を裏付ける結果、というふうに私は読みました。

それでも私は「ネットは使い方によっては社会を分断するリスクがある」と考えます。極端な意見ばかりを目にした人が、自分自身でものを考えず、自分の意見を面に出さなくなる「萎縮」が一番怖いです。社会は異なる意見を出し合って、その折り合いをつけながらよくなっていく(よくしていく)ものだと考えるからです。
ある出版社の方から聞いたことあるのですが、経済書とかでもまともな書籍よりも、極端な論拠で読者に不安をあおるような書籍のほうが売れやすいとのことです。
PV至上主義だと、煽りタイトルや極論の方がクリックされるからね。
あんま、よくない傾向だけど、仕方ない部分もあるのかな。
より、読み手側の精査力、読解力、洞察力が問われるね。
極端な意見というか率直な意見を吐き出しやすいんでしょうね、SNSは。今まで意見を言いたくても簡単に書き込む場なんてなかったものが、あっさりできてしまう。他人の意見も見ることができる。同じ意見を見つけたら同調しやすい環境がそこにあるということですね。
ある程度「極論」でないと個人の意見が届かないのは確かなので、極論が目立つのは仕方ないと思います。問題は内容です。

読む価値のある極論は時間をかけてでもじっくり読みたいですが、罵倒する単語があればその瞬間読まないようにしています。客観性をもって極論を書いているかどうかが読むべきコンテンツかどうか、一つのポイントになると思います。
ネットがあろうがなかろうが、自分が正しいと思っている人は極論に走ります。昔からそうで、そうした中で生み出されたのが最終的に真ん中に落ち着けるという「ファジーな中庸論理」だったのではないでしょうか。
あと自分が正義だと思っている人は、自分が悪だと思っている言葉や論理に敏感すぎるんです。ネットの中もほわほわした世界もあるのに、そういうものは彼らに見えてない。「ネットは極論だらけ」って嘆いている人こそ「極論な人」なわけです。
これが本当の理由かどうかわかりませんが、
ネットでの声が一般的な意見、偏差値標準の意見というのは異なるでしょうね、ネットユーザーで意見を主張する人の多くは(自分も含め)ノイジーマイノリティーですから

ただメディアが新聞やTVしかなかった頃に比べたら、多様な意見、趣味趣向が出てきて、少数派の人間にとっては生きやすい世の中だと思います
フィルターバブル。FBやTW、そしてこのNPも含め、フィード型のコンテンツ消費UIは、いまそのユーザーに見えているものが、全体の意見や論調ではないのは頭でも重々分かっていても、無意識的にそれを「全体」だと錯覚させるトリックがある。山口先生が言うように、ネットにおけるこうした確証バイアスは実証的にも明らかなのに、サービス開発の現場ではそれに対する対策が練られている気配は薄い。パーソナライゼーションが行き着く先にあるこのコンテンツ消費体験モデルが、今後も主流であり続けるのだろうか。