「新潮45」LGBT差別…江川紹子が指摘、休刊だけですまされない問題の本質
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いわゆる杉田水脈論文は過激でもないし、LGBT に対する理解と愛情があって書いたように見えます。あたかも多額の税金が投入されているような記述や、女子校での事例などは不適切だったかもしれませんが、目くじらを立てるほどのことはなく、そのような意見もあると言うことだと思います。問題となった生産性という言葉は誤解を招きますし、不妊の方にも不愉快な感じを与えた可能性はあります。だからといって一斉に叩くのはいかにも日本的で残念です。今回の言葉狩りは戦中の非国民狩りを思い起こさせます。おそらく米国なら擁護と批判が50:50になると思います。LGBTに対する行き過ぎた擁護に軽い警告をしただけの文章なのに(しかもLGBT 理解の上で)、日本という国は言論にとって怖い国だと思いました。江川さんほどの人がこのような集団叩きに加担するのは残念です。新潮45がこれで休刊になるなんて意味不明です。新潮トップも情け無い。
注目のコメント
完全に同意したい文なのでやっぱりしっかりピックしておくべきと考えた。
LGBT差別にせよ外国人への差別にせよ、はたまた様々な細かなことへのへんな偏見にせよ、根っこは同じで人を何かでまとめてラベル貼って区別しようとする発想にあると思っている。LGBTも東大卒も日本人だっても、「xxはこうだから」と言った瞬間にそういう意味じゃ一緒の表現。ラベル貼って一括りで人を理解しようとするやり方。それほんと良くないと思う。
人はそれぞれ違って、ラベルにしたいと思ってる事は単なるファクトとしての違いでそれだけじゃ意味合いなんてないことの一つ。ラベルと思ってることだってそれぞれにとっては違うもので、印刷したラベルだと思って見たらダメで一つ一つ手書きで違うものだと気づくはず。そう!よく言われるけど個性の一つ。本当にそに人のことを見てればどうでもいいことだと思うのですが。本文の中の「彼らは新しい情報や視点を求めているのではなく、自分が信じているものが正しいのだと誰かに保証してもらいたいのだ」という引用が、ほぼ全てを語っている。
こうして自分を正当化する情報を集めようとするのは、実は、科学者の世界にも存在している。ただ、科学者は教育によってそれをメタに自覚しており、注意を払おうとしている(成功しないこともあるが)。
本当の問題は「自分という人間は弱い存在であり、弱いからこそ、そういう行為をしかねない」という警戒心の有無だろう。たからこそ、万人にとって科学の基礎教育が必要だとも思う。