元SEALDs牛田悦正「就職できませんでした」 争奪戦になるとは何だったのか…
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今どんな思想や考えを持ってるかは知りませんが、ここまで言う必要はないのでわ?
昔のことは許せないことかもしれませんが、崖から落ちた人に上から岩を落とさなくてもいいでしょ、と私の反骨心を刺激する記事でした(苦笑)
注目のコメント
私ぐらいまでの世代なら、全学連委員長として一斉を風靡した唐牛健太郎(かろうじけんたろう)の名前は聞いたことがあるでしょう。
以下が学生運動から身を引いた後の彼の壮絶な人生ですが、政治活動で"頭を張る"とは本来はそれくらいの覚悟が必要なことなのかもしれません。
職を転々としつつも、信じた主義主張を貫き通おした彼の生き様からはグローバル企業云々という浮ついた気持ちは一つも感じられません。
私とは主義主張は違いますが、立身栄達を求めず、どんな境遇にあってもただまっすぐな政治への思いは捨てなかった彼には、左右の側問わず多くの人たちが一目を置いたのです。
因みに彼が亡くなった時は政敵であった筈の自民党の重鎮まで参列したそうです。
1962年、右翼の田中清玄が社長を務める丸和産業に入社。
1965年 冒険家堀江謙一と「堀江マリン」を共同で設立。
1968年 新橋で居酒屋「石狩」開店
1969年 鹿児島県与論島に渡り建設作業員となる。
1971年 北海道紋別市に移り漁師となる
1981年 東京でコンピュータ会社に就職
1982年 徳田虎雄の選挙ブレーンとなる
1984年 直腸癌で死去。享年46歳。twitterのタイムライン見る限りでは、そもそもこの人が頑張って就職活動してたけど全滅した 、のかどうかもよく分からず、本人もそれを残念に思ってるのかどうかも不明で、「就職できませんでした」と10文字つぶやいた以上のことはわからんのだけど、過去tweetとか周りの人の発言とか合切集めてきて罵倒記事に仕立て上げるnetgeekの暗く卑屈な情熱が凄いと思う。
それを丸鵜呑みでまたぞろSEALDsザマァで盛り上がれる諸氏の情熱の出所にも感心。
と思いつつ再確認したところ、本人はこのように述べている模様。
https://twitter.com/ILLMATIC_UCD/status/1042052720386088961?s=19
> あの、このツイートについて、「社会運動に参加したから就職できなかったんだ」みたいな誤解があるようなので言っておくと、僕がただ就職活動をしていないだけで、ほかのSEALDsのメンバーなどはちゃんと就職活動に成功しています。デモで前に立ったところで、就職できないはずがありません。 https://t.co/mCAY33dVnh大丈夫!、逮捕歴ある極左学生が、後にGoogleの副社長になったという村上さんの例もありますよ!
https://www.onecareer.jp/articles/246
ただし、村上さんは、京大卒で、さらに最初のキャリアは裏口入社みたいですが笑