東大のグローバル化?英語試験は誰のためのものか
コメント
注目のコメント
「そして現実的に考えれば、その便益を受けるのは日本で「税金」を払う「日本人」の学生では必ずしもなく、むしろ大多数は英語を話す世界各国から来る学生達でしょう。するとこの集団から排除された「普通の日本人」は早晩この構図を批判し新たな「東大批判」が噴出するでしょうが、此の期に及んでは最早この種の「東大批判」は粗野な「人種差別主義」として国際的に一蹴され、解消され得ぬ不満を抱える人々の怨念と彼らを邪悪な敵として蔑むエリートの憎悪によって、日本国内においても西欧に見られるような「国民間の断絶」が急速に進行するかもしれません。」
(ちょっと興味深いシナリオだったのでw)
------
安西氏の議論記事を読んだ上での感想です。
たしかに「グローバル入試」導入の目的が曖昧で、結局だれのための策略なのかわかりづらい部分があるのは事実です。神谷氏がおっしゃる通り、誰のため、何のため、というのをはっきりさせた上で徹底的に策略を練っていくべきです。
余談ですが、私は神谷氏が問う、「この入試方式の導入はだれのためか」という問題に対して、これは当然受験生全員のためではないと答えざるを得ません。既に外国語の能力が高かったり、特定の分野で突出しており外国語でのコミュニケーションは大学で伸ばせる、という生徒を入れるためのプランになるでしょう。
反感を買いそうですが、実際こうしてでも学生を育てないと、日本はどんどん世界との教育面でのリンクを失ってしまうのではないかと私は思います。安西氏が訴える東大受験の公平性のなさも大事ですが、私は先に東大をグローバル化して他の受験生や大学に意識させることが最重要ではないかと思います。東大はそんなリーダー的存在なんだから、強行して入試改革をしないと、まだ他の教育機関が動くことはないでしょう。これでは、肝心の日本の世界への通用性は向上しません。
私自身帰国子女であり、それを踏まえたバイアスも全くないとは言い切れませんが、いい加減日本の教育にガチなグローバリズムを突っ込んでもいいのではないでしょうか。今の日本人は、視野が狭く、世界に出るという選択肢がないのはなんだかもったいないきがします。民間試験は、学力を測る手段としてはほとんど役に立たない。
なぜなら、思考力がなくてもだいたい解けるから。
大学は、求める人物を想定してそれに合わせて問題を作ってあるのでその方がよっぽどいいはず。日本の入試英語は、思考力に重点を置いてるから解いてて面白い。英会話などの実践力は二の次。でも、それでいいと思うんだけど。
そもそも大学によって目指してる方向性は違うんだから、グローバルを掲げてるところだけ勝手にやってればいいのでは?
全体がこの流れになったら大学のレベルはもっと下がると思うよ。