【あの戦争】30代は開戦前に「敗戦」を予測 歴史に埋もれた「総力戦研究所」から学ぶこと
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若い世代は、あの戦争を過去のこと、と思っているが、違います。日本の組織にありがちな巨体プロジェクトに臨んだ際の意思決定のあり方を検証したのが『昭和16年夏の敗戦』です。主役は30代です。僕は自分が30代のときに我がこととして書いたものです。
総力戦研究所の話は猪瀬直樹さんの名著「昭和16年の敗戦」によって広く知られていますが、残念ながら総力戦研究所は内閣直轄のエリートの育成と訓練を目的に作られた機関で、元より国政にも軍事作戦にも影響を及ぼすものではありませんでした。
しかし、同じ時期、戦争を知り尽くした陸軍省直轄の戦争経済研究班(通称秋丸機関)が、全く同じ結論を出していたことはあまり知られていません。
こちらも国策に合致しないということで、その報告が握りつぶされたのは同じなのですが、総力戦研究所と違うのは、もし本当に開戦した場合、どうしたら勝利の可能性が高くなるかという報告も同時に行っていたことです。
その作戦は以下の通りだったと言われています。
1)ソ連との直接対立を避け、背後を安定させる
2)主敵をイギリスに定め、緒戦でインドネシア、マレー半島を手中に収めて継戦に必要な資源を確保する
3)東南アジア、インド方向に侵攻し、援蒋ルートを遮断して蒋政権を屈服させ、戦線から脱落させる。
4)東南アジア各地の欧米植民地を独立させ、同盟国を増やし、自存自衛の戦いを支援する
5)最強の敵であるアメリカとは極力戦わず、漸次消耗させながら、できるだけ補給が可能な防衛圏にひきづり込んで戦う
6)その間にドイツと挟撃してイギリスを降伏させ、イギリスの仲介でアメリカとの講和を目指す
秋丸機関は日米の経済格差は約20倍と計算しており、この間日本が国力を維持できる期間、つまりイギリスを屈服させアメリカを講和に引っ張り出すまでのタイムリミットは2年間あまりと計算していました。
また、ドイツが短期間でソ連を倒すことが、戦争の大勢を決する要素だと見抜いており、それができなかった場合1年から1年半で英米の戦力がドイツを上回ると報告しています。
あとの展開から見て、アメリカの建艦能力をやや低く見ていたことを除けば、秋山機関の報告は勝てずとも、最大の条件で講和に持ち込むための戦略としてはかなり優れたものだったと言えます。
しかし現実にはこの策は採用されず、海軍が推す開戦の第一撃でアメリカの主力戦力を叩き、有利な条件で講和を目指すという作戦、つまり真珠湾攻撃が採用されることとなった訳です。
歴史にIFを問うことは無意味なことですが、もし陸軍案が採用されていたとしたなら、太平洋戦争の様相は全く違うものになっていたことでしょう。現在の社会も似たようなことがあるような気がします。
30台が「王様は裸だ」と叫んでも、裸の王様に疎まれて潰される世の中です。
論と証拠に基づいた、冷静で適切な判断は、いつの世の中でも難しいようです。
そんな裸の王様にならないように、自戒しつつ、平和を祈ります。