前提知識なんていらない、大切なのは感性を磨くこと
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私は必要に迫られて音楽分析やら何やら色々やりましたが、素晴らしい音楽家に限って理論など全く分かっていなかったりします。
クラシック音楽は、本能に頼って聴くのでも十分👍🏻
「クラシック音楽のコンサート、聴いてみたけどなんだかよく分からなかった…。」という声もちょくちょく耳にしますが、私も「今日のコンサート、よく分かんなかったなぁ…」と思うこともあります。(私の場合は、なぜよく分からなかったのかを考えます←仕事モード🤓)
そんな時は無理に“分かろう”とせず、“よく分からなかった”というご自身の感性を大切にして良いのだと思います🎶自分の感受性を大切にする(茨木のり子のばかものよ的な)ことはできても、「感性を磨く」などということが果たしてできるのでしょうか。
例えば、クラシックを聴いて何か別の事柄や感覚が想起されるのは、一種の共感覚だと思いますが、そう言う感覚自体はかなり個人差かあって(勝手な想像ですがグリア細胞の一種のアストロサイトの多さが関与してるんじゃないかと疑っている)、必ずしも磨かれた感性というわけでもない気がします。音楽の楽しみ方もそれだけではありませんしね。
クラシック音楽を何らかのビジュアルイメージとリンクして楽しむというやり方としては、バッハのトッカータとフーガに抽象画のアニメーションをつけたり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」に恐竜のアニメをつけたディズニー映画の「ファンタジア」(1940年)や、アイアンマンでおなじみのロバートダウニーJr.主演の「路上のソリスト」で、ジェイミー・フォックス演じるホームレスのナサニエルが音楽から想起されるアブストラクトイメージを映像化したシーンなどが思い起こされます。
私はクラシック音楽はロマン派以降は、個人的な体験に基づく感覚とリンクすることが多いので、あまりビジュアルには響かないタイプですね。
音楽というものは、美しさだけでもダメで、体験としてかなり複雑かつ根源的なものだなと思います。
私の友人が手伝っている、主に京都で活動しているMusic Dialogueというプロジェクトがありますが、
http://music-dialogue.org/about/greeting/index.html
こちらのコンサートでは作り込んだビジュアルアートはありませんが、室内楽のリハーサルから観客と空間を共有し、指揮者や演奏者がどんなことを考えながら演奏を形作って行くのかを含めて体験するという試みを行っています。さらに、バックスクリーンには、リハ風景を解説するスタッフのリアルタイムつぶやきと、観客の感想もリアルタイムで表示されるので、置いてけぼりになりにくい楽しい仕掛けになっています。
クラシックが生活にどこまで溶け込んでいるがは、確かに日本は欧米ほどではないのかも知れませんが、一方で日本のアマチュアオーケストラ活動は世界トップクラスで、ものすごく層が厚いです(世界アマチュアオーケストラ連盟の拠点は日本にある)。日本では、感性を磨くという言葉が、知識を持っていることと同一視されがちではないかと思います。
知識は、持っていればもっと面白いかもしれないけれど、それは副産物。おおむね間違っていなければ、「そういう解釈を与えてくれてありがとう」というのがアートの業界だと思うんですよね。
これが欧州だったら、フラットに「そういうふうに解釈するんだ」となるところが面白い。そして、アメリカだったら「cool」のひと言。「格好いいモノは格好いいといっておけばいいじゃん」という。