9割の悪事を「教養がない凡人」が起こすワケ
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注目のコメント
誰かを悲しませると後味が悪いし、誰かを喜ばせると後味が良いものです。そのため後味を含めた長期的な視野で物事を判断する人は基本的に周りにも優しくなっていきます。逆に刹那的な視野で物事を判断する人は快楽に溺れやすく後味の悪い人生となりがちです。快楽により今だけを生きるキリギリスよりも、自己犠牲により未来だけを生きるアリよりも、充実感により今と未来を生きるアリギリスを目指したいものです。
しかし刹那的な快楽よりも長期的な充実感を選択するためには努力と報酬とのタイムラグを埋める工夫が求められます。例えば成功体験による自信とか、忍耐力や自制心とかですね。勉強は努力から充実感までのタイムラグが長めなので勉強で慣れておけば他の充実感を選択肢しやすくなると思います。そうして成功体験を繰り返すうちに努力そのものが充実感を生むという自己実現のサイクルが生まれ輪が完成します。アイヒマンね‥‥
好かん奴だけど人間を観たかったのか? 何を考えたらそんな実験思い付くのやらだけど、当たっているだけに怖い。
悪は悪と自覚される事なく行われるし、善とされる事すらある。さてそこで、悪の是正をどうするか?
多勢に無勢。
抹殺避けながらの「知恵と力と勇気と根性」
‥‥‥‥日本企業の話をしたかったのか。
関係あると言えばありますが、話が前後で飛んだ感じがしました。流動性高くなれば解決する問題ではないと思います。
逆に土台から崩れる恐れもある。
アイヒマンの逆を行く方策を考えた方が良い。善悪は裏表にも使える可能性を持っていると思います。これは重要な指摘。Twitterを見ていても、不倫などの「わかりやすい悪」に無批判に乗っかることで正義の傘を着た悪魔と化してしまうことに強い危機感を覚えます。
「凡庸な人間こそが、極め付きの悪となりうる。「自分で考える」ことを放棄してしまった人は、誰でもアイヒマンのようになる可能性があるということ」
この記事を読んで改めて、リーガルハイの下記のセリフを思い出しました。
「本当の悪魔とは、巨大に膨れ上がったときの民意だよ。自分を善人だと信じて疑わず、薄汚い野良犬がドブにおちると一斉に集まって袋叩きにしてしまう。そんな善良な市民たちだ。」