大学教授の立場から伝えたい、「結果」が出ない時の「転身」のススメ
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私もかつて博士課程にいたとき、人間関係のトラブルに巻き込まれて研究室に居られなくなり(これは私に責任があるのですが)、研究が継続できなくなったことがありました。何があったか書けば長くなりますが、まあいろいろありましたね。
心配して頂いた先生方から、海外を含め、様々なお誘いも頂きましたが、いろいろな意味で大学や研究に愛想が尽きてしまい、結果的に自分の人生そのものだった筈のアカデミックキャリアの全てを諦めることにしました。
これは自分の中では誰がなんと言おうと完全な人生の敗北でした。研究に関連する資料をしまう為にうん十万の棚を買い、それまでの情熱と共に涙で封印しました。これは自分がこれまで生きた証であり、自分が追い求めてきた「何か」の重さでした。そして、私は残りの余生を生きることにしました。
大学院生、特に博士課程に進むことは、少なくとも日本の一部の領域では、この記事が言うようにプロ野球選手になるくらいリスキーな人生を選ぶということを意味していると思います。私はそうした生き方を選んだ人達に、いつも大きなリスペクトの念を感じています。
その後の人生もいろいろあって、今も決して楽ではありませんが、その時その時を全力でベストだと信じられる判断をしてきたので、後悔はありません。
私は精進が足りずある程度結果があったのにも関わらず途中でギブアップしてしまいましたが、ついついたまにあの頃を振り返り、ドクターを取っていたらどうなっていたかと考えてしまう時がありますね。封印した筈なのに。
そして、ありがたいことに、いまだに学位を取らないかとのお誘いを受けますが、短い残りの人生、称号の為に費やす時間はありません。
自分は大学教員には向いていなかったと、今ではわかります。自分が夢見ていた「大学」は、この世界には存在すらしていませんでした。また、そう思おうとしているのかも知れません。
ただ、好きなことがやりたかっただけなんですけどね。大場さんのコメに泣きそう(2)
ワタシはたまたま運が良かったんだなぁ、と思います イロイロな方々のお陰で
米国の場合、教授が大学院生の給料と学費を払うので(うちの大学では間接費・医療保険込みで年間$65K)、結果の出ない院生の「転身」はかなりシビアですねぇ 現実的に学費を自分で払える場合は稀なので、解雇は指導教授を変えることと、ほぼ同義です 外国人学生の場合、もし新教官が見つからなければ、国外退去になりかねません ワタシも20年の教授人生で2回ありますが、大変辛く、後々尾を引きますねぇ博士が100人いる村、という有名な動画がありますが、100人中16人が死亡・行方不明、というオチが衝撃を与えました。
こちらについては出所不明ということで下記の通り検証した記事もあり、「行方不明」は本当に行方がわからないだけのものも含んでいるのでは?などいろいろありますが、プロ野球選手と一緒で本当にその道で活躍できる人は一握り、むしろ研究はグローバルなのでメジャーリーグで活躍できないと駄目でさらにハードルが高い、ということはかわりませんし、一般企業で博士は敬遠される、というのも事実です
https://life-science-project.com/1169/
最近は、その頭脳を使ってエンジニアになる、という道が出来つつあるのが非常に素晴らしいと思っています。(もちろん分野によりますが)「ノーベル賞を目指していたが世界には上がいた」と三十代半ばで職歴なしの無職になってしまっても、その頭脳を活かして高給をとれる職業があることは本人にとっても社会にとってもよいことと思います