【遠山正道】僕が「アートの新しい流通」を作る理由
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遠山さんの考え方、本当に好きだなぁ。アートの定義や、アートの新しい流通をつくることによるアートの「自律化」や「民主化」を進めていくという考え方。
インスタレーションて実は絵画よりとっつきやすいように見えて、歴史的なコンテクストがそれほどないから、鑑賞対象としては難しい。でもだから面白い。
毎年行われる六本木のアートナイトや直島の街中に点在するアートなんかでも思いますが、アートがサイトスペシフィックに日常に溶け込んでいくことによって、逆に日常の風景や日常の出来事自体の見方が変わっていく。Town Meets Art, Art Fills Town。
以下、保存版的に個人メモ。
◆アートとは?
- 自分の中で「物事の見方」についてのコンテクストを作り、それを世の中に問うこと
- 自分が「見えていない」9割の世界に目を凝らし、気づきや発見を与えてくれるかもしれない、きっかけ
- ビジネスも個人の生きがいも、内的な理由が必要な時代に、アートは価値を持つ
◆チェーンミュージアムによる「アートの自律化」
- 「小さくてユニークなミュージアムを、世界にたくさん差し込んでいく」
- 日常の風景の中に、100カ所のミュージアムという概念を潜ませる
- インスタレーションの流動化、アート自律化、アートのプロジェクト化
◆アートの評価経済による「アートの民主化」
- 所有権の移転によらない、新しいお金の流れをつくることによる「アートの民主化」
- 鑑賞者がアートの切口から評価され、一人ひとりの鑑賞者の文化度の多寡を蓄積するアートログ実現したいシーンはだいぶ見えてきた。
実現させる素晴らしいチームと方法も見えてきた。
一つひとつのMuseumづくりはもう毎日楽しくてしょうがない。
ドキドキと不安と、目を凝らし、大小のトリガーに指をかける。「新しい物の見方」が新しい事業を始めるきっかけになります。『おじいさんのランプ』のようにランプというものの存在とその機能を知ることで文明開化の灯をともしていくのも「新しい物の見方」の知識ですが、ランプそのもの、あるいはガス灯や電灯、都市の照明システムをつくりだしていくのに必要なのはより根源的な知識であり、それは自然科学や社会科学といった学問かもしれないし、絵画や音楽、文学かもしれません。
かつて王たちは身近に様々な絵画や彫刻を置きました。それは、単に権威を演出するとか気分を盛り上げるといったことだけではなく、自分たちの好む物の見方を簡潔かつ雄弁に示したり、あるいは、王たち自身が物の新たな見方を得ようとしたためでした。ヨーロッパと南米の経済を一気に結びつけ、ヨーロッパの覇権を握ろうとしたスペイン王フェリペ二世は、エスコリアル宮殿の自分の周囲に、不気味極まる寓意に満ちたヒエロニムス・ボッシュの絵を置くことを好みました。豊臣秀吉は狩野永徳らを動員して金襴の背景の屏風絵で大阪城や聚楽第を彩り、市井の人々の生活を一望できるようにしました。王たちやあるいはロスチャイルドやロックフェラーの経済人たちは、経済学や地理学、政治学から「新しい物の見方」を得ることもできました。同時に彼らが身の回りに置いたアートは、彼らや周囲の人々に刺激を与え、書物やジャーナリズムからは得られないような、より根源的で意想外な物の見方のきっかけとなってきました。