【山本豊津】画廊はアートの価格をどう決めているのか
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アートが画商に仲介されて世に出るようになったのは、ごく新しいことです。画家や彫刻家が、「新しい物の見方」をその作品で示してみせても、作品が多くの人に享受され、評価されることがなければ、社会に衝撃を与えることにはなりません。かつては画家や彫刻家は教会や寺院、王侯貴族、あるいは豪商から直接注文を受けて、その注文の範囲内で斬新な「新しい物の見方」を示したりしていました。教会や寺院、王侯貴族が発注すること自体が社会的な評価であり、世に出るために必要でした。
ヨーロッパでは18世紀になると従来より広い層がアートを自宅で享受するために作品の仲買をする美術商が増えていきました。日本やヨーロッパにはそれまでは庶民に向けて浮世絵や銅版画を売る商売が存在していましたが、出版商やかわら版屋に近い商売でした。19世紀になると、国家が、国民国家創成のイメージ普及の重要な手段としても、アートを支援するようになりました。日本などでも、アート市場は新興近代国家としての必要から、国家が支援したのが始まりです。
現代は、教会や寺院、王侯貴族が価値を定める時代ではなくなりました。国家もまた多くの先進国では価値を定める存在とはいえなくなりました。価値を定めるのは、市場であり、メディアであり、つまりは経済です。アートによって「新しい物の見方」を示す方法も多様化していますが、市場で通貨に換算されるか、メディアで普及するか、が必要になります。ダイヤモンドやファッションと同じで、ニューヨークやパリを中心に市場での価値を定める仕組みがあり、それで流通に乗るようになっています。もはやインターネットも使えるし、表現の手段はマンガでもインスタグラムでもテレビCMでもありえるので、アートを世に出して人々に享受できるようにしていく仕組みは今後も変わっていくでしょう。今となっては、日本だとスマートフォンのゲームで絵師の皆さんが描いたキャラのカードを(ガチャで)買う、というのがアートを享受する最も大きな市場ともいえます。中国では小学生同士がアプリで自分たちのイラストを交換してwechatで数百円程度の決済をする、といったことをしているようですし、ネット上で手軽にアートを流通させて享受する手段も増えていくでしょう。自分が発掘するアーティストの軸というか信念を持っているのがカッコいい。
世界の美術が抽象に転じる中で抽象性をどんな形で保存しているかを見る。
自分が扱ってきた美術史の流れを一段階前に進めるアーティストを扱う。
個人的には、「面についての扱い方」を通して見た絵画の発展の歴史が面白いと思いました。
面の中に奥行きを描くルネサンスの透視図法=遠近法。
そのアンチテーゼとなった光の面を描く近代の印象派。
デュシャンの泉など「面」を脱却するオブジェという「もの」。
さらに発展させて空間そのものを作品化するインスタレーション。
特に↓のあたりは印象的で、今後アート作品と対峙するときは意識したいなと考えさせられました
- 「これまで絵は見るものでしたが、僕たちがアート作品と同じ空間に入ると、僕たちも見られる対象になる」
- 「作品は実際に買ってみて自分の部屋に掛けてみない限り、自分のものにはなりません」