「学歴」が分断する現代日本社会
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日本と日本以外の先進国で大きな違いがある、というトーンを感じたのですが、日本がそんなに特殊なのでしょうか。私が5年間住んでいたイギリスでも大卒と非大卒では明らかに機会に差がある(さらに言えば、荘司さんなどが書かれている通り、入学難度が高い大学を卒業したかどうかでさらに差がつくわけですが)社会でしたし、現在住んでいる中国でも大卒かどうかで機会に大きな差がつきます。だからこそ、みんな必死に受験勉強するわけで。
ただ、日本において昔よりも大卒・非大卒の壁が高まっている、というのは納得できます。非大卒の方々が担っている仕事の非正規雇用化が進み、組合の傘から外れたことで、給与や条件面での企業に対する交渉力を構造的に失ったことが、格差の拡大につながった、ということは十分に考えられるので。
「大卒(や出身大学の名称)」と言ったラベルが機会差につながる原因の一つは、「個人の能力」を評価するのは難しい、というところにありますよね(特に書類選考などでは)。だから、ラベルに頼ってフィルターをかけてしまう。人間・組織の情報処理能力の制約が根底にあるので、こうしたフィルタリング自体をなくす、というのは想像しにくい。
なので、雇用主に対して交渉力が弱く、また、社会福祉面でもフォローが手薄いために、意欲や能力があっても脱出しにくい、という構造に対して手を打つことが必要なように思います。筆者が指摘されている、公的サポートの必要性も同じ方向性の議論だと思いますが。
注目のコメント
学歴は、偏差値ばかりに目が行きがちですが、私は違うと思います。
その人の能力もさることながら、その人にどのような人脈があるか。また、一緒に切磋琢磨できる仲間がいるだけで頑張れるし、一緒に学ぶと自分がわからないところも周りが教えてくれる。だからこそ学歴が「それなりに」重要視されるのだと思います。それこそ、偽アカウントのフォロワーはお金で買えても、真の仲間はお金では買えないのです。
ありがたいことに、いまは小学校~大学まで、昔の同期から一緒にやろうよと言っていただき、いくつもの魅力的なプロジェクトに発展しています。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ、スティーブン・スピルバーグは、大学を出ていない。
伊藤穰一さんも大学を中退したが、周知のごとく、今やMITメディアラボ所長である。
一方、日本の学歴は、「事実上の身分制度」である。
そこから抜け出す例もあるにはあるが、稀である。
上記のビル・ゲイツらは、日本の基準で言えば「高卒以下」であり、将来は閉ざされていたかもしれない。
ひょっとしたら、現状で既に、才能ある人は日本から流出しているのかもしれない。
前世紀末に、ピーター・ドラッカーは、日本の学歴社会を「今や日本の弱みだ」と警鐘を鳴らした。
その予言は実現した。逆に、民族や階級の分断線が欧米ほどはっきりしていないのであれば、学歴さえ手に入れれば、日本では人生の逆転が可能とも読み取れます。実際の世の中は、学歴さえ手に入れれば上手くいくほど甘くはないと思いますが。