【亀山敬司】仮想通貨は買うものじゃない。学ぶものだ
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仮想通貨でも、株でも不動産でも、他の人の能力に乗っかることで、楽して「資産運用」をするということは、本質的には投資ではなくて、ただの消費なのではないかーー。亀山さんのインタビューの中でも、この部分が一番心に響きました。
投資というのは、ただ金をだすのではなく、そこに汗や苦労を伴うものだという話はとても説得力があります。だから仮想通貨も、ギャンブルのように消費することと、その技術を学ぶことは別物だということでしょう。
DMMの創業者の亀山さんが露天商からビジネスをスタートさせたことは有名ですが、やはり自分の働き方というのは、自分のお金についての哲学を直接築くものだなと改めて思います。私も会社員ではあるものの、新聞社や出版社を離れて、ニューズピックスに来てそういった感覚は自然と変わっているように思います。個人的に印象に残ったのは↓のあたり。お金論というよりは、お金を稼ぐことを通した働き方の認識論。
- これからの時代は、会社の寿命より、人間の寿命のほうがずっと長くなる。稼ぐのは「自由」のため
- 年収1000万円を超えたあたりから、収入の価値は薄まっていって、稼いだ分に応じた豊かさを感じることにはならない
- 何億円ものお金を稼いだ人たちが事業を続ける理由というのは、最後はもう好奇心だけ
たしかに、ある一定レベル(年収で約800万円くらい)までは確実に個人の幸せと年収は相関関係にあるが、それ以降は相関関係がない、むしろ負の相関になる、という話を聞いたことがあります。
あと昔、冨山和彦さんがキャリアを語るイベントに出たときに、「自分の市場価値=マーケットバリューの7割で買える自由を意識しろ」という話をしていてなるほど、と思ったこともあります。
最近流行りの『転職の思考法』で書かれていることとも似た論調ですが、最高の自由は、自分の好奇心にあわせて、自分の意思とタイミングで、自分の時間の使い方について主体的な選択ができることなんでしょうね。