「日本人」とは何か?「ハーフ」たちの目に映る日本社会と人種差別の実際
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◎「日本人」とは何かを問いかける「ニッポン複雑紀行」渾身の最新作をお届けします。
書き手は「ハーフ」や「混血」のテーマを追い続ける社会学者の下地ローレンス吉孝。写真家は移民たちの暮らしを撮り続ける田川基成。編集は私が担当しました。今このテーマで一つの作品を作るなら最強の布陣だと自負しています。
ガーナ、アメリカ、インド、ボリビアと日本の双方にルーツを持つ同世代の4人。これまでの人生で葛藤と共に抱えてこざるを得なかった思いや物語を共有してくださいました。
翔さん、レジーナさん、ゆうアニースさん、セシリア久子さん。本当にありがとうございました。
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昨年難民支援協会の皆さんと一緒にニッポン複雑紀行をつくったときにこんな言葉を掲げました。
『ニッポンは複雑だ。複雑でいいし、複雑なほうがもっといい。』
その言葉に真っ直ぐ向き合ってこの記事をつくりました。
アイデンティティ(=自己同一性)は線引きと排除の裏返しです。何が自分で何が自分でないのか。本当は複雑なのに、私たちは単純だと思い込む。排除することで安心を得ようとする。
どうやったら寛容でいられるのか?
どうやったら複雑でいられるのか?
簡単に線を引かない。
境界にある小さなものに目を向ける。
複雑さに耐えて、複雑さをリスペクトする。
「日本人」であることは自明の事実ではありません。
誰もが納得可能な定義もありません。
「日本人」とは何か?その問いが持ち込む不安定さを受け入れることが寛容さへと向けたはじめの一歩です。
複雑で寛容な社会をつくるのも壊すのも私たち一人ひとりの振る舞い次第。「ならつくろうよ」というのが私たちからの呼びかけです。
ぜひ読んでみてください。シンガポールのインターでは最早生徒同士、お互いがどの国籍か知らないし話題にもならない。なぜなら、お父さん・お母さんがそれぞれ複数の国籍を持っていて、さらにそれがお互い異なっていたりするから、生徒15人で国籍が合計で25~30とかになることもざら。うちみたいに両親が同じ国籍でさらに日本だけしかもっていない方がマイノリティ。生まれた場所の国旗を飾ったりしているクラスもあるけど、生まれた場所と国籍異なる事もよくある。コスモポリタン時代に日本も適応していかないと