海外の大学からみた日本の教育機関に必要なこと
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注目のコメント
サッシャさん、寺岡さん、そして今回の出演をアレンジしてくださった、シャ・ラ・ラ・カンパニーの柴田さん、NPの小野さんありがとうございました。
この記事の主旨は、少子高齢化の煽りで人員と予算の削減されて行く中で、大学の仕組みだけが昭和のままで制度疲労を起こしているので、抜本的な改革が必要だということです。
大学を構成する要素は大枠には研究、教育、コミュニュティの3つからなります。現状では、これら三つの関係がタイトで身動きが取れない状態になっているので、もっとフレキシブルな関係にすれば状況は改善すると思います。極論ですが、大学から研究の機能を一部切り離してはどうか、さらに大学教員が研究と教育を両方に従事するのではなく、教育に特化する教員、研究に特化する教員という風に切り分けてはどうか、という提案です。
実験系の研究者には施設が必要なので大学からは切り離せないですが、理論系の研究者は世界のどこにいても研究することができるので原理的には切り離せます。科学研究者は、できることなら研究のことだけ考えて生きていきたいという生き物なのでこれは渡りに舟だと思います。そうやってスリム化、効率化をはかることで、研究者は研究に集中できて研究成果を上げられる、教育特化型の教員がいれば学生はより細やかなケアを受けられる、という風に生産性の向上が期待できます。研究者を養成する機能はどうなるのかという声が聞こえてきそうですが、それはまた別で対応できると思います。
最後に大学はいらないかと言われれば、大学は必要です。特に、今回はあまり触れなかったコミュニュティとしての機能が今後重要性を増して行くと思います。なにせ、若者にとっては大学は色々な意味で格好の出会いの場ですから。この夏、久しぶりに、ニホンでやる会議に行くことにしました(観光兼ねて) ニホンの大学の方々とは、暫く(十年位)直接お話しする機会がなかったのですが、会議参加者はニホンからが殆どだと思うので、最近はどうなのか聞いてみようと思います。。。
早崎さんのコメントより。
人文科学の研究者にも言えることだと思います。これは、現在の大学をG大学とL大学に分けるべき、という議論にも通じます。合格したらサークルとバイト、から脱却するには、まずは教員のあり方から変える必要がある、ということでしょう。
>科学研究者は、できることなら研究のことだけ考えて生きていきたいという生き物なのでこれは渡りに舟だと思います。そうやってスリム化、効率化をはかることで、研究者は研究に集中できて研究成果を上げられる、教育特化型の教員がいれば学生はより細やかなケアを受けられる、という風に生産性が向上が期待できます。