「人間らしさとは何か」を問う医療テクノロジー
コメント
注目のコメント
> もし私の医療リテラシーが過度に高まって、いちいち食事の前に健康へのダメージを気にしだしたら、きっとQOLが下がってしまうような気がする。おそらくもう大好きなラーメンを口にすることはなくなるだろう。
> デジタルヘルスで儲ける企業や、医療費を削減できる政府にとって、きっと私のような意見は最悪なのだろう。そんな方々にぜひ尋ねてみたい。
そうっすね、最悪というか哲学者って言ってもこの程度の思考レベルなんですね…残念、といった感じ。
確実に身体に悪いと分かっていながら好きなもん好きなだけ食って、勝手に病気になって医療コストを上げる事の何処が人間らしいと?
それでは目の前に出されたエサを我慢できずにただガッつく動物となんら変わらないだろ。
人間と動物の違いについてよく考えた方が良い。
人間というのは自分をコントロール出来て初めて人間と言えるレベルになる。ただ姿形が人間だったらみんな同じ人間って言えるかっていうとそうではない。
自分の欲を制御しようともしないで”人間らしい”なんて言ってて恥ずかしくないのか?
欲求のままに動くならそれは人の形をしたただの動物だ。
医療資源は本来、自分の力ではどうにも出来ない先天性疾患・難病治療にこそ使われるべきモノ。
好き勝手した代償を都合よくチャラにするために使うものではない!
※どうやら筆者はQOLを都合よく解釈しているようですね。結論がわかりにくいので個人的にまとめてみると、
「医療テクノロジーの発展を哲学的な観点で見ると、
①リテラシー格差による医療格差を生む。
②合理化がQOL(クオリティオブライフ)を下げてしまう。
の2つの危険性があるので、皆さんも今一度考えてみましょう」
ということですね。
記事表題は、②の危険性を語る上で、「人間らしさとは何か」が問われる、という点を抜粋している形。
哲学的な観点なので賛否両論はあると思いますが、この記事では「合理・不合理」の対比がポイントになっており、AIによる徹底的な合理化が進む中、医療以外の分野でも同様の考察ができるような気がします。かつてドイツの哲学者・ニーチェはこううそぶいた。
「私は生涯のうちで最も病気が重く最も苦痛の大きかったあの頃ほど、自分というものに幸福を覚えたときはない」と。(本文より抜粋)
幸福について向き合う、考える時間は大切ですね。
医療格差は地方と都市部にこそあると思うので、テクノロジーによって地方のお年寄りをサポートできるようになってほしいです。