エンジニアで冒険家のリチャード・ジェンキンスが自動航行ロボットで漁業、掘削、環境科学の革命に挑む。目標は1000隻編成の無敵艦隊だ。

「ホホジロザメ・カフェ」の謎

毎年春になると、太平洋でホホジロザメが謎の集団移動を繰り広げる。米西海岸の南北から、サンディエゴとハワイの中間あたりに位置するコロラド州ほどの広さの海域──「ホホジロザメ・カフェ」──を目指す。
集結したサメは付近を数カ月間、回遊し、海面から深さ500メートル近くまで一気に潜水することもある。何をしているのか、なぜ集まるのか、長年のあいだほとんどわかっていない。
しかし、この夏ついに、2隻のセイルドローンが何かを見つけるかもしれない。
全長23フィート(約7メートル)の蛍光オレンジのヨットは、布製の帆より耐久性のある硬い翼で風をとらえる。セイルドローンという名前のとおり自律型の航行ロボットで、人間が遠隔操作することもできる。
今年3月中旬、サンフランシスコ湾を臨むアラメダの波止場から、センサーやカメラ、科学機器を満載した2隻のセイルドローンが出航した。アルカトラズ刑務所のそばを通り、ゴールデンゲートブリッジをくぐって、ホホジロザメ・カフェまで3週間、1900キロの航海が始まった。

研究室で「海の神秘」を観察する

4月初めに目的地の海域に到着したセイルドローンは、37頭のサメにあらかじめ取りつけられていた音響送信機の信号を拾った。
サメの位置を確認したら、付近を航行しながらソナーを使って彼らの行動を探る。映像やデータは衛星を経由してバーバラ・ブロックのもとに送信される。
ブロックはスタンフォード大学の海洋生物学者で、3年前からホホジロザメ・カフェへの調査航海を計画してきた。研究生活の大半を通じてホホジロザメと過ごしているが、この広大な深海のたまり場を詳しく調べるのは初めてだった。
「どの陸地からも遠く離れた、実際に行ったことがある人はほとんどいないような場所だ」と、ブロックは言う。「研究室に座っていると、サメが昼も夜もさまざまなパターンで潜水する映像が送られてくる。自分の目を疑うような光景だった」
サメは、魚であふれ返る深海層を目指して潜っているように見えた。食事のためにカフェに集まっているのかもしれない。ブロックたち十数人の研究者はセイルドローンとともに航海を続け、何か特別なえさか、あるいは恋の逃避行が、大洋のど真ん中にサメを引き寄せるのだろうかと探っている。
「実に大規模な集団移動であり壮大な物語だが、どのような現象なのか、海で何が起きているのか、まだよくわかっていない。セイルドローンのような技術は、地球にとって重大な時期に、その空洞を埋める手助けをしてくれるだろう」

ドローン1000隻を世界各地の海へ

このヨット型ロボットを開発したのは、アラメダを拠点とするスタートアップ、セイルドローン社だ。ベンチャーキャピタルから9000万ドルの資金を集め、海洋情報の市場で大きな賭けをしている。
創業は2012年。ここ数年は、重量約545キロの船体が荒波にもまれながら正確なデータをはじき出し、数カ月の航海に耐えられることを証明しようとしている。コストも従来の調査用船舶よりはるかに安上がりだ。
4年以内に1000隻のドローンを世界各地の海に送り出し、継続的な探査の体制を整えたいと考えている。環境や気象、漁業、海運、石油や天然ガスの探索に関してカネになる情報を収集するのだ。
プロジェクトのカギを握るのは、エンジニア兼船乗り兼冒険家のリチャード・ジェンキンスだ。セイルドローンの開発に成功したのは、ある意味で偶然とも言える。
ジェンキンスはシリコンバレーで世界征服を目指す資本主義者のオタクではない。開発の苦労を陳腐な言葉で語るより、セーリングとビールと、ビールのあるセーリングの話をこよなく愛する。
「船乗りの定義とは何か」ジェンキンスはアラメダの波止場でドローンの出航準備をしながら言う。「ビールを小便に変える原子生物だ」
現在41歳。モジャモジャの髪はブラウンで、日に焼けたブロンドの筋が混じっている。ベイエリアの自宅から、湾の出口付近にあるオフィスにボートで出勤する日も多い。
係留ロープを結ぶ手は、海水で腐食した機器を操作し、修理し続けた証のたこが目立つ。仕事着はよれよれのTシャツと、油と塗料とエポキシ樹脂の染みがついたカーキ色のズボンだ。

12歳から小型船舶を自作、工房は自宅の居間

なまりを聞いただけでは、どこの出身かわからない。両親はオーストラリア人。イギリスで生まれ、子供時代の大半は、ヨットが盛んなサウザンプトン近郊の自宅とオーストラリア西部の祖父の農場を行ったり来たりしていた。
12歳のときから、セーリング・ディッキーなどの小型船舶を自分でつくりはじめた。工房は自宅の居間。ソファがあるはずの場所を船体が陣取り、テレビは予備の部品に埋もれていた。「両親は本当に寛大だった」
若き職人は、ほとんど学校に通わなかった。技術に関係のない本は、中国の兵法書『孫子』しか読んだことがない。14歳で大工仕事を学び、夜間の社会人講座で伝統的な木造船のつくりかたを勉強した。
17歳から地元の船舶会社グリーン・マリーンで働きはじめ、レース用ボートや帆船、高級ヨットの建造を手伝った。機械工学を学ぶためにインペリアル・カレッジ・ロンドンに入学する前に、1年をかけて世界を航海し、自分が建造したヨットを配達した。
大学生のとき、グリーン・マリーンの同僚から世界最速のランドヨットをつくらないかと誘われた。矛盾する名前のこの乗り物は、外見はほぼヨットだが、車輪で移動し、主に砂漠のコースを走る。
当時ランドヨットの世界記録は時速116.7マイル(187.8キロ)。ジェンキンスは1999年から10年間、記録更新に人生をささげた。

荒野で10年間、思い続けた「挑戦」

ときにはアメリカやオーストラリアの砂漠で何カ月も過ごし、自分で設計したヨットで干上がった湖底を横断した。冬はモンタナ州やカナダに遠征し、氷の上を走った。費用はすべて自腹。予算はギリギリだった。
「生活費、船の建造費、移動費も合わせて、10年間で11万ドル使った。領収書はすべて保存していた。いずれ大口のスポンサーが現れて、全部払ってくれるかもしれないと思っていたからね」
800ドルで買ったダッジバンで、1人で寝泊りする日々が続いた。「昼間はヨットの作業をして、夜はステーキとコーンを食べた。王様の食事さ」
ある日、砂漠で高速道路のパトロール隊員に会い、拳銃1丁と、銃弾が入った大きな袋をもらった。「『このあたりは不審者がうろついている』と言われたが、誰も見たことがなかった。だからビールをたらふく飲んで空き缶を撃った」
孤独な時間は、エンジニアリングと空気力学の勉強にいそしんだ。翼やレース用タイヤの大きさを調整し、部品の素材や形を変えながら、力と抵抗のバランスを探った。毎日のように失敗を繰り返した。重さ10キロ以上の金属の塊が本体からはずれて操縦席に飛び込み、自分の頭をかすめたこともある。
荒野での10年間、ジェンキンスは挑戦を続けることし考えていなかった。
資金を稼ぐために、しばらくニッケル鉱山で働いた。化学肥料を背負って壊れそうな梯子を降り、地下450メートル付近で鉱脈がありそうな場所の岩を吹き飛ばした。キャンプ中にたびたび洪水に襲われ、数週間、孤立して取り残されたことも何回かあった。

自作のランドヨットで世界記録樹立

ジェンキンスのランドヨットの性能が飛躍的に向上したのは、2008年ごろのことだ。船体を細長くして、操縦席の後ろに飛行機の翼のような硬い「帆」を垂直に立て、下から3分の1ほどの高さに棒を渡して長方形の尾翼を取りつけた。
風が翼を巻くように流れながら上昇気流を生み、ランドヨットは風速の3~5倍のスピードで走行した。滑車と油圧装置を使って尾翼の小さなタブの向きを調整し、高速で走行してもスピンして制御不能にならないようにした。
2009年3月、ジェンキンスはモハベ砂漠のアイバンパ・ドライレイクに立会人を招き、乾燥した湖底を自作のランドヨット「グリーンバード号」で疾走。時速126.1マイル(202.9キロ)の世界記録を樹立した。
「何かをやると宣言したら、やるしかない。そういうことだ」と、ジェンキンスは言う。すぐにわかりやすい褒美があるわけではない。「スポンサーになってくれそうな人たちはいつも、その乗り物は商品化できるのかと聞く。私はと言えば、そんなことは一度も考えたことがなかった」

マゼランの世界周航を再現する

アラメダはオークランドの西隣にある小さな島を中心とする街で、湾の対岸にサンフランシスコを臨む。人口約8万人。東西に9.5キロ、南北に1.5キロほどの島はビクトリア様式の建物が並び、全域の道路は時速25マイル(約40キロ)に制限されている。
島の西端にかつて海軍の航空基地があり、巨大な倉庫で船舶や戦闘機をつくっていた。その後、ロケットの建造施設やウォッカの蒸留所として使われ、2009年にジェンキンスが拠点を構えた。
ランドヨットで世界記録を樹立したジェンキンスは、次の目標を探していた。最初の2年間は船舶建造の仲間2人と倉庫のごく一部を借りて、ニッチな分野のコンサルティング事業を始めた。グーグルの共同創業者ラリー・ペイジが愛用しているようなカイトサーフィンの特注ボードもつくった。
「リチャードは少し戸惑っていた」と、仲間の1人デーモン・スミスは言う。「きちんとした仕事をするのは初めてだったのだろう」
しかし、すぐに記録破りとしての本能を抑えきれなくなった。16世紀にポルトガルの探検家マゼランが達成した世界一周航海を、現代の知恵で人命を犠牲にすることもなく再現できたら格好いいだろうと、ジェンキンスは考えた。
ランドヨットと同じような垂直尾翼を使えば、太陽光発電をエネルギーとし、必要に応じて遠隔操作もしながら、自律航行で世界を一周できるヨット型ドローンをつくれるかもしれない。

サンフランシスコからハワイ、34日間の旅

2011年には試作品が完成し、ジェンキンスは科学調査にも利用できるのではないかと考えはじめた。
ちょうどその頃、彼は元グーグルCEOのエリック・シュミットの妻で、実業家で慈善活動家としても知られるウェンディと偶然知り合った。シュミット夫妻が2009年に共同設立したシュミット海洋研究所は海洋調査船の開発に出資していた。
「自走する船舶が、コストの高い大型の調査船では行けないところに行くという発想に魅力を感じた」と、ウェンディは言う。「彼(ジェンキンス)は資金を必要としていて、私たちは彼の研究開発に出資する余裕があった」
科学者やビジネス志向が強い人々は、ジェンキンスが嵐や塩分からロボットヨットとデータを保護する気がないのではないかと感じた。超大型の船舶でも、そうした脅威にさらされる。
しかし、ジェンキンスはひるむこともなく、2013年には試験航行を始め、その年の終わりにはサンフランシスコからハワイまで2100海里(約3900キロ)を34日間で旅した。風力で自律航行可能な無人船舶が世界で初めて、大洋を横断したのだ。
その後もジェンキンスのセイルドローンはベーリング海で高さ12メートルの波に耐え、赤道付近の無風地帯も無事に通過した。
「最長のミッションは8カ月で1万6000キロだった。総航行距離は32万キロ。すべてのドローンが、フジツボの筋がついていたくらいで傷ひとつなく帰還した」
※ 続きは明日掲載予定です。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Ashlee Vance記者、翻訳:矢羽野薫、写真:©2018 Bloomberg L.P)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.