メガバンクを3ヶ月で辞めた東大生 「日本型雇用慣行」への違和感
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毎回言うことですが、誰かがこれを説教しようがなんしようが、若い人はこう思ってるってことです。
その事実は真摯に受け止めていかないと、若者が来なくなりますから。もちろん、かといって若者の言葉を鵜呑みにしていくばかりなのもアレですが。
転勤文化は本当によくわからないですね。
これも毎回言うことですが、こういう文化があること自体を否定はしないんですが、こういうのは当たり前!!といいつつ「働き方改革!!働きやすい会社に!!」とかいう会社がいたりするから、そういうダブルスタンダードはやめろっておもうんですよね。
ともかくこれが「働きづらい」と思う人がいる、ということは認めるべきで、それを「いやいや!これが当たり前!」というのはおかしい。
あくまでも「日本型企業文化では当たり前!!!」という主語がつくことをお忘れなきよう。
注目のコメント
「お金を稼ぐことに関わる知識とスキルを身につけたい」
という初心はどこにいったのでしょうか?
組織に合う合わないとか、
会社を3ヶ月で辞める事が良いとか悪いではなく、
自分がどんな性格で、これからどうしたいか?
という戦略がないと何をしても上手くいかない気がします。
やり直しはきく社会になってはきているので、
人生を戦略レベルで再考した方がいいですね。全く同じ境遇(メガバンク内定辞退→ベンチャーインターン)を過ごしたので、本当に気持ちがわかります。
別に銀行が悪いわけではないし、そもそも銀行というものの存在をみんなわかっていない、クラウドファンディングやICOがあるから、銀行なんてなくなるであろうというひとほど、思考停止している。
クラウドファンディングやICOは、ポジティブなプロダクトや事業にはお金が集まるが、赤字で企業運営がやばい!などのネガティブな理由では集まらない。
そういった企業のセーフティネット的存在は必ず必要になる。
一方で、ポジションがあるからといって、銀行が今のままだとやばい。
組織構造だったり、カルチャーはこれから加速度的に変えていかないと時代に置いていかれるのは間違いないが、業界的に法律規制や外的要因に縛られるというジレンマを感じている行員の方は一定数いる。
一番苦しいのは、そういった人だろうなて思う。
銀行には将来がない、なくなるとか言ってる人を見ていると、
オマエはなにを知ってんだ、関わったことあんのかよ、現場の人の話を聞いたことあんのかよて思う。
それより、どうすればよくなるのか、どういった存在になるべきか、+な考えをもって議論したほうが圧倒的にいい。
自分が銀行辞退したのは、ひとりの人間が長年かけて成熟した組織構造とカルチャーを変えていける自信がなかった、またそれが達成できるのはおそらく10年はかかるなと感じたから。
逃げるは恥だが役に立つとはいいますが、僕の思いをくみ取り、内定辞退という逃げを承諾してくれた会社のためにも、外側から銀行という組織をゆらし、いつか少しでも変革の一助ができたらと思います。
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内定出た後に同僚になるはずだった友達からなんで銀行受けたのか聞くと圧倒的に、特にやりたいことはないという大学生がほとんど、商社落ちたから来たとか
別に銀行にいきたくてきた!てひとはほとんどいない。(別にそれはそれでいいいと思うが)そういうひとを取ったら、そりゃ組織の活発化なんてできないやろなて思いました。
銀行が変わるには古典的考え方をしている上の世代が死ぬのを待つしかない。まさに、コペルニクス的転回。その特異点が来るまで、力を着々とつけていく。あと5年くらいで、常識が、生活が、時代が、変わると思う。ああ、昔はこういうのはね、普通に「五月病」といったものです。
別に誰でも普通にかかる症状ですし、私自身も白状してしまうとこの時期は辞めることばかり考えていました。
でもね、体験上いえば、これ自体は個人の自我や趣向の発現で、日本型労働慣行とか、そういう大層な社会的現象とはなんの関係もないです。
ついでに言えば、この事例のケースは、メガバンクでは上司や採用担当者は間違いなく減点となるケースでしょう。
そんなことは知ったことではないのかもしれませんが、自分のことばかり考えていないで、多少はあなたの為に、時間と労力を要した人のことも考えた上で、いくばくかの感謝を覚えるのが大人というものではないでしょうか。
辞めることは別にいいのです。
でも、結局就職は辞めて大学院受験=モラトリアムの延長なんですしょう。
だったら黙っていればよろしい。
こんなのがもっともらしい社会病理と言われるのは、なんとも言えない違和感を感じます。
東大まででたのであれば、少しは社会的な責任も考えてほしいものだと思います。
こんな甘ったれた言い草が是とされるのも、時代というものなのでしょうか。
個人的には、こんな恵まれた環境の、大人になりきれない子供の戯言が、正当な事由ならば、薄給で理不尽な労働に勤しんでいる多くの労働者は報われないと思うのです。