テクノロジーが変える未来のクリエイティビティ ドミニク・チェン × 渡邉康太郎 × 水口哲也
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メディアクリエイターの水口哲也氏、情報学研究者のドミニク・チェン氏、コンテクストデザイナーの渡邉康太郎氏による鼎談は、加速するテクノロジーの革新が人間の創造性にどのような影響を与えるのかについて、置かれる文脈やその意味を問う興味深いお話。なかでも、ドミニク氏が『星の王子さま』の例を引いて「当事者にしかわからない、かけがえのない関係が心のなかで結ばれることこそが『創造的』」と語っていたのが印象的でした。
鼎談の前編はこちらからご覧いただけますので、ぜひ!
「時代を超えて愛されるクリエイティビティの条件 ドミニク・チェン × 渡邉康太郎 × 水口哲也」
https://newspicks.com/news/3012274>「監督はきっとエンディングのシーンにこういう意味を隠したはずだ」という深読みができるから楽しい。自由に監督の意図を想像してしまう。このとき実は解釈の「正否」は問題ではなくて、鑑賞者が「自説こそが真実だ」と信じ込めるかが大事。
なるほど。僕はこれが読めただけで満足してジムに行けます。渡邉さんのこちらの指摘は本質的で素晴らしい。主体にあるのか、客体にあるのか、明確には判別しきれないと。
“江戸時代の思想家、三浦梅園の言葉に「枯れ木に花咲くを驚くより生木に花咲くを驚け」があります。枯れた木に花が咲いたら誰でも驚くでしょう。でもより驚くべきは、普段は当たり前のものとして見過ごしている、生きた木に花が咲くことのほうだ、というわけです。「当たり前の再発見」の目を持つ。このとき創造性は生木に宿っているのか、それとも木を見て感動する人間のほうにあるのか。私は両者の中間にあるのだと思います”
ドミニクさんのこちらのエピソードも感動的ですね。上の渡邉さんの指摘とも呼応するかたちで、私たちの日々のコミュニケーションやそこで培われる対象との関係性そのものが、いかに創造性を持ちうるかという気づき。
“この間、娘に聞かせようと、サン=テグジュペリの童話『星の王子さま』を久しぶりに読みました。話の後半に一匹の狐が出てきて、王子様と友達になるんですが、最後にお別れがやってきます。王子様はきれいな金髪なんです。「別れるのがつらい、こんなにつらいならどうして友達になったんだ」という王子様に対して、キツネは、「そんなことはないよ。僕は金色の小麦を目にするたび、君のことを思い出すだろう。そばにいなくても僕は君の中にいる。いいかい、物事は心で見なくてはよく見えない、一番大切なことは目に見えないんだよ」と言って王子様を慰めるのです。
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こうした、当事者にしかわからない、かけがえのない関係が心のなかで結ばれることこそが「創造的」だと思うんです。私はネットの研究が専門なのですが、今のSNSには人々の「恋」があふれているとつくづく思っています。恋は「乞う」から来ており、自分に欠けている何かを乞い焦がれている状態ですね。私は能の謡いを習っているのですが、能ではその「恋」の状態の奥底に、相手の気持ちを理解し、思いやる「心(しん)」という段階があると教えます。私たちが望みえる最高のクリエイティビティとは、まさにこのような人間の認知能力だと思うんです。AIやインターネットといったテクノロジーがそこにどれだけアプローチできるようになるか。それによって、クリエイティビティそのものの捉え方が大きく変わる可能性があると思います”