【世界的探検家×歯科医】人生100年時代を生き抜くデンタルケア

2018/5/29
人生100年時代の到来は、ビジネスパーソンがより長く継続的にパフォーマンスを発揮するセルフマネジメント能力が問われる時代とも言える。そのための生活習慣として食事や運動、睡眠などに意識を向け始めたという人は少なくないかもしれない。しかしながら、“盲点”となりがちなのが「口内環境」、すなわち歯と口腔内の健康維持だ。
全身の健康維持に不可欠であり、仕事の生産性にも直結するという歯のセルフケアのポイントとは? 大手広告代理店の営業マンから転身し、世界中の伝説の地を訪ねる探検家として活躍する髙橋大輔氏と、日本歯科大学生命歯学部教授の羽村章氏が、ビジネスパーソンが身につけたい資産ならぬ“歯”産価値向上の流儀について語った。

歯がなくなると転倒しやすくなる

髙橋 これまで世界各地を探検し、様々な民族の生活習慣に触れてきましたが、「歯の健康」は人類共通のテーマであることを実感しています。
 また探検の過酷な局面では、歯を食いしばって力を出したり、“かみ切る”“すり潰す”ための道具として歯を使ったりと、歯の健康が生死に関わるのだと、この身をもって感じてきました。
羽村 まさに、歯の健康は生命と直結します。動物にとって、歯は捕食という大事な役割を担うもので、哺乳類の中で歯がなくなっても生きていけるのは人間だけなんですよね。
 ほとんどの動物が、歯がなくなった時点で「死」を迎えることになります。
 なぜ人間は歯がなくなっても生き延びられるようになったかというと、知恵があったから。人工の歯を発明し、食べ物を軟らかく加工する技術を発達させて、歯の機能を維持してきました。
髙橋 昔は50年、歯を持たせればよかったけれど、今は「100年生きる」と言われる時代ですから、歯の健康機能をより長くキープする意識が必要だということですよね。
羽村 おっしゃるとおりです。加えて、口臭や歯並びなど、歯の健康は“印象”にも深く関係しますので、若いビジネスパーソンのパフォーマンスにも直結する問題ですよね。
 では、将来、歯がなくなってくると、どんな弊害が起きるのか、ご存じですか?
 興味深い報告があって、歯の本数は脳の認知機能に影響するとはよく言われているのですが、それに加えて、「転倒しやすくなる」ということも分かってきているんです。
髙橋 バランス機能に影響するということですか。
羽村 はい。歯が減っていくということは、上下のかみ合わせが保ちにくくなるということ。すると、かみしめることができなくなる。この違いがバランス機能を低下させるようなのです。
 おそらく、ギュッとかむことで力が入りやすくなる働き以外にも、「歯が落ち着く場所がある」ということが重要ではないかと思います。
 口腔内の筋肉がリラックスできる環境があることで、全身の筋肉の働き方にも影響があるのではないでしょうか。

なぜ歯を磨かなければいけないのか

髙橋 探検で各地を巡って感じてきた印象としては、食べ物によって歯の使われ方はかなり違いそうだなと。
 例えばグリーンランドにはシロクマやアザラシの生肉をかじって食べる習慣が残っているのですが、現地の人はかみ方も野性的で。
 一方で、同じ肉でもトロトロに煮込む文化のフランス人は、「かむ」というより舌で味わっているような感覚に近いのではと思ったんですよね。
探検先のグリーンランドにて。シロクマを食べた髙橋氏だが、「肉は脂身がなくしまっていて、味は淡白」とのこと。他にはジャコウウシ、トナカイ、アザラシなど、野生の動物を何でも食べることがここの流儀(写真:髙橋大輔)
羽村 軟らかい食べ物を食べている時でも歯が働いていないわけではないんです。「かむ」の働きを一言で表すと、食べ物を飲み込みやすい形に整えること。軟らかい食べ物もかんでいないようで、実は飲み込み、消化しやすい形に変えているんです。
髙橋 食文化の違いに関わらず、かむ機能は大事だということですね。
羽村 そうですね。暮らしの環境によっては、歯ブラシと歯磨き剤が普及していない地域もあると思いますが、「食べ物によって歯の表面をこする」ことも歯の健康維持につながると言われています。
髙橋 たしかに、以前、伝説的なシバ国の女王を追いかけてアラビア半島の奥地に行ったのですが、そこでは「乳香」という木の樹液を火にくべて香りをかぐという風習が伝わっていたんです。
 さらに、樹液を固めたものを口に入れてかみ続けるという風習もあって。結果的に、歯磨き代わりになっているんじゃないかなと思ったんですよね。
羽村 その効果はきっとあると思います。そもそも、なぜ歯を磨かなければいけないのかというと、歯の表面に付着した菌をとるため。浴室を想像していただくと分かりやすいのですが、硬い浴槽に水気がたまると、やがてヌルヌルと菌が付着してくる。
 口の中も硬い歯と水気が常に同居している環境なので、何もしなければ歯の表面に菌がたまってしまう。だから、こする習慣が奨励されているんですね。
 一方で、日本人が歯を磨く頻度は世界一と言われていて、むし歯予防先進国といわれるフィンランドよりもはるかに多いんです。フィンランドでは「日本の子どもたちを見習って、もっと歯磨きをしなさい」と言われているくらいです。

探検家が極限状況で行うデンタルケア

髙橋 意外ですね。日本人よりも歯磨きの頻度が少ないフィンランドの子どもたちのむし歯が少ないというのは…?
羽村 国を挙げて推進している「キシリトールの普及効果」が高いと言われています。
 キシリトールというのは天然の甘味料です。むし歯の原因となるミュータンス菌の繁殖を抑制する効果があって、歯の表面に付着する菌を取れやすくし、再び付着するのを防ぐ働きがあるんです。
髙橋 ということは、同じ甘い物を口にするなら、キシリトール入りの方が効率的に歯の健康を保持してくれるというわけですね。
羽村 よくあるのが「だったら、チョコレートにも入れたらいい」という意見ですが、キシリトールの作用を発揮させるにはできるだけ長く口の中にとどまっていた方がいい。だから、ガムやタブレットが向いているんですね。
 それに、溶ける時に熱を奪ってヒンヤリと感じる特徴があるのでミント系の味付けと相性がいい。この冷却作用を利用して、寝具やワイシャツの繊維に入れ込んで清涼感を出すという応用も増えているようですよ。
髙橋 なるほど。ということは、キシリトール入り繊維でできた衣服を探検に着ていって、歯磨きが十分にできない環境で服をかむというのもいいかもしれないですね(笑)。
どうしても、持ち物を減らさなければいけないので、ひとつの道具で複数の機能を果たすものは助かるんです。
羽村 たしかに、いいかもしれませんね(笑)。実際のところ、髙橋さんご自身は、探検した先での歯のケアはどのようになさってきたんですか?
髙橋 飲み水用とは別に「すすぎ専用」の水を小さな容器に持ち歩いていますね。しかしながら、極限状態では歯磨きどころか口をすすぐための水を使うのも惜しい時もあるんです。
 そんな時には、海水で口をすすぐこともありますし、海が近くにない環境ではできるだけ唾液を出して、自分の唾液で口の中を洗浄することもありました。
羽村 それは非常に理にかなっている方法ですね。唾液にはむし歯の原因となる汚れを自然と洗い流す自浄作用や、口内のpHバランスを整える作用、歯にプラーク(歯垢)が付着するのを防ぐ作用などがあるんです。
 唾液の分泌量を高めることは、健康指導でも重視されていることですよ。

人生100年時代、口の中まで筋トレを!

髙橋 唾液を増やすためには何を意識したらいいんでしょうか?
羽村 唾液腺周辺の筋肉をよく動かすことです。つまり、よくかむか、よく喋るか。かむ筋肉と喋る筋肉はほぼ同じように動くので、このどちらかを積極的に行ってほしいと思います。
 普段から無口な方は、ガムをかんだり、食事の時にもできるだけかむことを意識してはいかがでしょう。
髙橋 なるほど。ちなみに、口の中の筋肉を鍛えることはできるのですか?
羽村 腕や脚の筋肉と同じように、鍛えることはできますよ。腹筋や二の腕の筋肉を鍛えてスタイルを維持するのも大事ですが、ぜひ口の中の筋肉のトレーニングも時々思い出していただきたいですね。
 口の中の筋肉が衰えると、アゴの筋肉が衰え、頭全体を支えられなくなり、だんだんと前かがみの姿勢になっていくんです。
 前かがみの姿勢が続くと、自然と上下の歯がついたままの状態になって、結果、「かみ締め過ぎ」につながり、全身の疲労や不調の原因にもなります。
 「オーラルフレイル」という言葉を聞いたことはありますか?
髙橋 オーラルフレイル、口内の衰え、虚弱という意味でしょうか? いえ、詳しく知りません。
羽村 高齢期に罹患(りかん)しやすい疾患の多くが、病気になる手前に「機能の衰え」という段階があるというのは、実感として分かりやすいのではないかと思います。足腰の衰えや胃腸の衰えなどですね。
 これらのフレイルがどこから始まるのかと突き詰めた時に注目されているのが、実は「口腔内の虚弱」なんです。
 食べ物をこぼすようになったとか、滑舌よく話せなくなってきたとか、そういった衰えを発端にして、食べることや人と会うことに対して消極的になり、栄養状態も低下して運動機能も損なわれていく。
 全身の虚弱を防ぐために、口の中の機能を鍛えていきましょうという考え方がさかんに言われるようになっています。

口の中を鍛えると逆立ちができるようになる?

髙橋 それを聞いて思い出したのが、インドでよく見る光景です。彼らは口の中の健康に対する意識がとても高くて、唇をめくったり、舌を引っ張り出したり、ヨガのようにありとあらゆるアプローチで口の中を鍛えるんです。
 「口を鍛えると半日間、逆立ちができるようになる」とか言っていて、本当かな?と思うこともありますが(笑)、健康体に見えるのは事実でした。
羽村 まさに、口の中のエクササイズのような感覚なのでしょうね。とてもいい習慣ではないかと思います。
 日本では衛生用品も充実し、セルフメンテナンスの意識が高い人はすでに熱心に口腔ケアを続けていると思うのですが、忘れないでいただきたいのが「専門家による定期チェック」です。
 実は、自己流のケアでかえって歯茎を傷つけてしまう方は少なくないので、かかりつけの歯科医に時々診てもらうことをぜひ勧めたいですね。同じ歯科医が定期観察することで、小さな変化も見逃しにくくなります。
 口腔内は“肉眼で見られる体内で唯一の臓器”ですから、チェックの習慣をぜひ取り入れてほしいと思います。
髙橋 たしかに、口の中は唯一、自分でも見られる“体内”ですよね。世界各地を巡ったり文献を調べたりしていると、あらためて古今東西、いつの時代も人類は歯の健康と闘ってきたんだなと感じるんです。
 中国・雲南省の楽園伝説を追えば、現地の少数民族を訪ねていたアメリカ人探検家の持ち道具に歯を抜く道具があったことが分かったり、サンタクロースのモデルとなったトルコ人の骨格を法医学分析すると実はむし歯が何本もあったという記録があったり。
中国・雲南省の少数民族の女性たち。雲南省の標高3000mを超える高地には「地上の楽園」と呼ばれるシャングリラがある(写真:髙橋大輔)
 最近は地元の秋田の研究もしているんですが、秋田市千秋北の丸というところに、まさに歯や口の中の健康を祈願する「ベロベロの神」がまつられている神社(ベロキ神社)があるんです。
 昔も今も、歯の健康は人類共通の願いで、人生100年時代にはその価値がますます高まるということが今日のお話で分かりました。
羽村 私も髙橋さんのお話を伺って、「唾液をしっかり出す」「食べ物をしっかりかんで歯の表面を摩擦する」という世界各地に残されている伝統的ケアが、実は歯学で注目されている最新理論とも通じることが興味深いと感じました。
 50年後も健康な口内環境を育てていくための正しい知識と習慣を、若いビジネスパーソンにも身につけていってほしいと思います。
(構成:宮本恵理子 編集:奈良岡崇子 撮影:渋谷敦志 デザイン:星野美緒)