【羽生善治】なぜ神童は、いつしか「普通の人」になるのか
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羽生永世七冠に語ってもらった、天才や才能についての本音トーク。「人と違う才能を持っていても、それを発揮する場所がないと、だんだんと「普通の人」になっていきます」という言葉が、胸を突きます。
将棋や囲碁などの世界は、人工知能のテクノロジーの進化によって、その転換点に直面しています。人のクリエイティビティとは、一体何なのか。人の才能とは、どうやって花開くのか。一つ一つ、考えさせられます。
ちなみに孫さんの「天才工場」のメンバーが使える施設には、将棋の碁盤があるんです。育英財団評議員の羽生さんがぶらっと立ち寄った時に、これを使って、将棋の神様と対局することができたラッキーな子もいるのかもしれません。神童が「普通の人」になる現象はスポーツの世界でもあります。今いるプロ選手は子供の頃、誰もがスーパースターでした。
「自分は無敵の存在で、打つシュートは全て入る。入らなかったとしても自分が外して負けたのなら仕方ない。とにかくボールを俺によこせ。」
中学校のエースとかだと、そういうメンタリティの選手がほとんどです。だから本当にシュートもよく入る。
しかし年代が上がるにつれて周囲のレベルが上がり、そのメンタリティは消えていく。昔の方がシュート入ってたよね?と。これを「魔法が解けた」とか「牙を抜かれた」とか表現します。世界のトップに立つようなスーパースターは、いつまでも魔法が解けない。
天才を見つけたら、中途半端なコーチングは逆効果。周囲は魔法が解けないような環境を用意するだけですね。「人と違う才能を持っていても、それを発揮する場所がないと、だんだんと「普通の人」になっていきます」とのこと。
チームワークや組織の和を重んじる傾向にある日本人は、
他者と変わった部分を持つとそれを伸ばすことよりも
「集団行動を乱す人」と捉え、否定的かつ奇異の目を持って
「平均」「普通」につぶしてしまうことが多い気がします。
特に幼少期は自分の尖りに価値があると認識しづらいため、
せっかくの才能もおかしな部分だと捉え、
肩身の狭い思いをしている隠れギフテッドも多そうですね。
育英財団のような団体に限らず、突き抜けた能力を持つ人が疎外感を抱かない環境を作るのは難しいのかな、日本だと。。
また余談ですが音楽に数学的要素があり、AIが作曲しても評価が高いというのも納得します。人の感動しやすい旋律やコード進行、和音、音質、リズム、速度は分析出来そう。