ニュージーランドから学ぶ“個性を伸ばす”教育--テクノロジは「あくまでもツール」
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注目のコメント
記事を書きました。なぜ、ニュージーランドの教育水準は高いと言われているのか、記事を通して感じとっていただけると嬉しいです。生徒一人ひとりの意見を尊重し、たとえ幼稚園児であっても子ども扱いしない同国の教育カリキュラムから、日本が学ぶことは多そうです。
国のモニタリング評価の指標が気になる。もはや国が中央集権で教育制度を維持し、質の向上を図ることは困難になってきているんじゃないかと思っている。地方がそれぞれにコンピテンシーベースの魅力的な教育実践を創造できる自由さが必要だと思う。
教育サービスを受けるときは個人の視点で、
教育サービスをつくるときは国の規模で、
考えられることが多いと思います。
前者は理想論に振り切れがちで、
後者は悲観論に着地するイメージ。
どちらも理解して、その間で葛藤する姿勢が大切だと考えます。
そういう意味で、
ニュージーランドもそうですし、
他にも注目されているアジアの教育新興国の良い点を挙げて、
「この教育を日本でも!」「日本の教育は遅れている!」というのはちょっと短絡的だと考えます。
まず人口の規模を考えないといけない。
個人的に受けたい教育が、国全体の最適解であるかは別物と感じます。
たとえば英語教育。
四技能教育の話題が絶えませんが、
「30人子どもがいる教室で、果たして実現可能か」
という論点を、現場感をもって議論する必要があると思います。
発音は大切、だけどそれをどこまで授業のなかで、実現していくのか。なかなか現場には教えられる先生も、環境も不足しているところばかりです。
ツールはあくまでもツール。
ちょっと本題からはズレましたが、
この記事の通り、ツールを上手に活用して日本に合った教育の形を作っていきたいです。