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【木村泰司】都市経済の発展がもたらした絵画革命とは

NewsPicks編集部
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  • オランダ本社で修行後→宇宙領域→

    オランダも本記事の中心であるため、1000字では到底足りません、笑。

    オランダが絵画の歴史上貢献したことは計り知れません。「従来の教会(聖職者)、王族・貴族等から受注する宗教画、人物画」→「ビジネスで大成した商人からの依頼に基づく、風景画、静物画」市場が誕生したのもその大きな一つです。

    ファンエイク兄弟の事例から始まりますが、レンブラント、フェルメール、ゴッホ等の伝統派から、エッシャー(だまし絵)、モンドリアン、ブルーナ(ミッフィーの作者)等モダン領域まで含めて、これまで美術音痴な私をも開眼させるほどのアート大国がオランダです。

    個人的には、これまでアート、例えば美術館で作品を観るときは、ガイドブックに載っている有名、または自分が世界史等で勉強して見知っていた作品を見つけては満足・興奮というルーティーンの繰り返しでした。

    ただ、本記事にもある、絵画の中にあるシンボル等を勉強し始めるだけで読み解けるケースが一気に増えてからアート鑑賞にすっかり、お熱です。

    (追記)

    その他記事にも言及されているように、アート以外にも、オランダは、①世界の経済・金融システム(株式会社という形態、グローバルな交易システム、チューリップバブル等の市場性投機、その他金融機能全般等)、

    ②鎖国時代の日本との関係性を含む、両国400年以上の戦略的な関係(日本の治水、西洋医療技術の基盤はオランダ由来。言語面でもビール、コロッケ、八重洲!!、医学系用語も含め、オランダ語由来の日本語はたくさんあります。)。
    https://ja.wikipedia.org/?curid=1295673

    絵画に戻れば、日本画に影響を受けたオランダのアーティストの一人がゴッホであり、葛飾北斎の絵を模した作品等もあります。ちなみに、現在、ゴッホ美術館では特別展「ゴッホと日本」が開催中です。本テーマに基づく作品を世界から集めており、圧巻の仕上がりでした。
    https://www.vangoghmuseum.nl/en/whats-on/exhibitions/van-gogh-and-japan

    これだけオランダが中心の話題、ベタぼめだと自分のあまのじゃくさが出てくるほどです。

    以上、オランダの海外出羽守より現場からのコメントでした。


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    大室産業医事務所 産業医

    日本ではごく自然に受け入れられている、マンガでの「汗」や走るときに足が丸くなる表現などは、マンガ特有の記号のようなものとして漫符と呼ばれたりします。

    西洋絵画にも理解して臨まなければいけないコードは存在しますし、「ただ何の予備知識もなく感じれば良い」というようなナイーブな世界ではないことは明らかです。絵画を前にその意味ばかり追ってしまうのも野暮ですが、歴史的背景や文脈を全く勉強しようとしないのも・・。

    意味と強度。このバランスの上に成立するのがアートなんだと思います。


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    静岡県立大学国際関係学部 准教授

    都市とはしばしば文明そのものと理解されます。これはイブン・ハルドゥーンのようなイスラーム史上の思想家にも見られた発想です。都市とは富の蓄積であり、資本の余剰が発生します。都市があるからこそ、様々な投資が出現します。技術革新への投資、新しい産業への投資、奢侈品への投資、冒険や航海への投資、そして学問や文化、芸術への投資も大規模になりえます。

    イタリアで起きた都市経済の急発展は結局ローマ帝国の遺産によるところが大きいですが、モンゴルやイスラーム勢力によるユーラシアの経済圏の統合という変動によるものでもありました。ヴェネツィア、次いでフィレンツェで起きた都市の急発展は、文化への投資を急拡大させました。13世紀から15世紀にかけて、イタリアの絵画は目が覚めるような勢いで色鮮やかになり、写実的になり、躍動するような構図をもつようになっていきます。この変化は文学や音楽でも起きたことで、オペラという多額の投資がなければありえない総合芸術も、ガリレオ・ガリレイの父親らが主導して銀行家の都市フィレンツェで誕生しました。

     イタリアは18世紀まではヨーロッパの文化的中心地としての地位を保ちました。イタリアで起きた絵画の変化はヨーロッパ各地の宮廷と都市へ波及していき、ドイツでニュルンベルクのアルブレヒト・デューラーやヴィッテンベルクのクラナッハ親子のような革新的な画家たちが都市に現れました。しかし、宗教改革に伴うドイツ三十年戦争の混迷、そしてオランダの分離独立の後、イタリアで起きた絵画の変化を引き継いで発展させたのは17世紀にはフランドルとオランダでした。ルーベンスやレンブラントの活躍は、大西洋をまたいだアメリカ大陸をも含む新しい経済圏の産物でもありました。
     18世紀になると、オランダは英国に敗れ、絵画を含む芸術の中心地は、フランスへ移行します。ブルボン家の宮廷はなお芸術の強大なパトロンでしたが、貴族階級の増加、商工業を基盤にした市民階級の台頭、そして二度のナポレオン帝政と共和制の時代にパリはいよいよ芸術の最大の消費地、ヨーロッパ中から貴族と富裕層と芸術家の集まる都市になりました。


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