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凡人が、天才を殺すことがある理由。ーどう社会から「天才」を守るか?

『週報』
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注目のコメント

  • エネルギーアナリスト/ポスト石油戦略研究所代表

    Baba Ayanoさんに言及頂いたのでコメント。

    幼少期は確かに何らかの意味で突出していたので、自分は周りとは違うんだなという感覚はありましたが、京大に入り「本当の天才」に何人も出会ったので、自分のことを天才とは全く思いません。

    ただ、私のエピソードなんぞがその天才君や天才ちゃんに共感いただけたというのは嬉しいなと思います。共通する感覚があるのかも知れませんが、自分並や自分以上に苦労した人の話しというのは、ある種の安心感を与えてくれるのかも知れません。

    学生時代、アカハラに悩む知人たちは定期的に私のところにやってきて愚痴るのですが、私が話すエピソードの方が圧倒的に勝っているので、己の悩みの小ささに気づき安堵し、最終的に、いまから一緒にこれから一緒にそいつ(私のボス)を殴りに行こうかYAH YAH YAH となってましたね笑

    記事では、秀才を「再現性」、凡人を「共感性」、天才を「創造性」としてベン図を作っています。似たような分類で、ミンツバーグのアート(直感)・クラフト(経験)・サイエンス(分析)というものがありましたが、分が悪い「アート」をクラフト・サイエンスがサポートすべきという構図は、似ているようで少し違いますか。両方とも概念の意味するところが微妙に違いますよね。

    「創造性」の高い人を天才と定義すればそうなのかも知れませんが、必ずしもそうでもない気もします。

    記事の定義における「天才」は、秀才からの「妬みと憧れの相反する感情」と、凡人からの「理解できないから排斥する」というパラメータが計測できれば発見可能ということですが、もしこれが可能ならちょっと面白いですね。

    まあ、その意味においては、だいたいどの組織にいても妬みと排斥の対象に遭ってきたので、私は「天才」と言えるのかも知れません。ただし、私は創造性はとても低いと自認しています。

    「共感の神」を求めているというのはなんとなくわかります。
    私は人生のそれぞれのステージで、不思議なことに少し年上の女性に認められることによって成長するということを繰り返してきました。

    その人が組織内や社会において強い権力をもって擁護してくれることで、能力を発揮できるということはあるかも知れません。


  • 音楽家

    大場紀章さんが武勇伝として時々NPに書かれているエピソードが身近にいる天才君や天才ちゃんの境遇ととても似通っているので、大場さんのエピソードを彼らに話すことがあるのですが、話を聞く彼らはなんだかホッとした表情です☺️きっと、深いところで共感できるものがあるのかな?と思います。

    個人的な印象ですが、天才君や天才ちゃんはとても素朴でエゴも強くないので、ワレワレは器用でセルフプロモーションに長けた“天才っぽい人”をより、好んでしまうのかもしれません。
    社会を舞台として生きるには、そういう天才っぽい方に倣うのが良いのかもしれませんが、天才君や天才ちゃんに倣うと、私のようなフツーの人でも、世界に存在するピュアな美しさのようなものを垣間見ることが出来るように感じます💕

    ボンジンの私ですら、“人生とはとてつもなく美しいものなのに、社会のなんとフクザツなものであろう!”と感じるので、ピュアな世界に生きる天才君や天才ちゃんにとって社会で生きて行くことはワレワレの想像以上に困難なことなのかもしれません。

    (テキトーなこと言ってたらスミマセン🙇🏻‍♀️…感覚ニンゲンなので…💦)


  • U of Michigan 教授 (機械工学), 副学科長

    受け皿のはずなんですけどねぇ、学者という商売が 近頃は余り上手く行ってないようですが


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