池上彰氏「僕はこうやって本を読んできた」
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注目のコメント
「やることが多すぎて本を読む時間がない」という学生に対して「本を読む以上に価値のあることをしているのか」と問うようにしてるのですが、彼(女)らの「いま」にとっては、音楽を聴くこともスマホをいじることも、読書以上に価値があるとうつってしまっているのでしょうね。
知識のインプットする方法として、本当に読書が一番いいのだろうかと感じている。1年前に読んだ本ですらだいたい内容は忘れてしまいますからね。感情や思考を刺激しつつインプットできるインターフェースは何かないものかね。
追記
本に固執している理由を考えてみたら、偉い人が確からしいリファレンスや経験を元にある程度のボリュームで体系だった記述をしているからなんだろうな。だからネット記事とは異なってそれっぽくなる。
今は一つの複雑な事象に対して色んな人の意見を立体的に捉えることが、ますます重要な知のインプット方法になるだろうから、時代の変化に伴って本という媒体にこだわる必要はないですね。NP最高。この話は「どんな本を読んできた」という内容であって、「こうやって」という内容では無いような気がする。
とは言え、「読み方」を語れというのも難しい。
私の場合、小説を26歳くらいまで読んだ(読めた)ことがなく、一度意を決して1冊(ミラン・クンデラ「存在の耐えられない軽さ」)を2年程かけて読んだ。出てくる単語や作品、引用、街の風景、社会背景など、知らないことが多過ぎるので、まずはノートを作成して、完全には理解できていない単語や、見た事のない物事をすべてリストアップして、単語の意味を調べ、引用されている作品を読み、登場する実在の人物や事件について調査、街並みの画像を集める所から始めた。その調査に1年以上かかった。その上で、4、5回読み直して、ようやく何が書かれているのかがわかった。
この経験をして、ようやく本を読むとは「コレ」じゃないということがわかり、それ以降は普通に読めるようになった。
他の読み方としては、本をを逆さにして読む、とか、川岸で腕立て伏せをしながら読む、とか、公園の滑り台の上から3日間降りずに読む、とか、他にも様々なエキストリームな環境で読んだりして来たが、おそらく多くの人にとって参考にはならないだろう。