ゼロックスの「Alto」は、なぜ成功できなかったのか──パソコンの歴史を決定づけたプレゼンの舞台裏
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注目のコメント
これは面白い記事ですね。正にこの前後、ジョブズはPARCを訪れてグラフィカルインターフェイスやらDTPの概念にインスパイアされて自身のApple製品に注ぎ込んで行くわけですが、その未来を見ていた人たちがゼロックスには居たのにも関わらず…という。技術の道筋であるとか、行方というものを感じて経営することがいかに難しいかを感じさせられる話だなあと思います。
この「ディスプレイによって紙は置き換えられてしまうのでは?」という懸念はその後、エプソンやキヤノンなどの印刷機器メーカーがディスプレイ事業にのめり込んだり、DNPや凸版印刷などの印刷業がディスプレイ向け材料に傾注するようになる取っ掛かりとしては非常に強力な危機感だったわけですが、ゼロックスは結局そこから今に至るまで脱皮するには至らなかった、と。
シリコンバレーの中心地Palo Altoに本拠を持ちながら、AppleやMicrosoftを凌ぐ会社にもなっていたかもしれなかったのに。
追記
エプソンもその後ディスプレイ事業の殆どは売り払っており今はシリコン有機ELによるARデバイスを手がけるに至っている。キヤノンもまた巨費を投じてSEDを画策し大型ディスプレイを事業化しようとしたり、有機ELを作ろうとしたが結局、買収した有機EL製造装置の蒸着機事業に至る。
こうして振り返ってもゼロックスの先見の明たるや凄まじいものがあるのだが、見る目がないというかそういう発想に経営者は着想を得なかった、と。面白かった〜。
技術史的な面白さもありますし、イノベーションのジレンマとしても読み込めますが、結局プレゼンが失敗だったという仮説(視点)からみるべきかもしれませんね。
ゼロックスといい、コダックといい惜しいです。これはどこでも起きうることですね。”キーを打つのは女性事務員の仕事と考えているらしい夫たちは心を動かされた様子もなく”。
何かの高度化に使われる技術よりも、低コスト化という民主化に使われる技術の方がよりDisruptive、と思わなかったのかな。前世紀末以降については、米国大企業は買収で人材と技術を登用し、生きながらえているケースが多いようにみえる。CiscoやBroadcomのように。