「パブリック」には適切な定義も和訳もない?日本は「公私二元論」の国 - ソーシャルメディア進化論2018
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シェアリング・エコノミーを突き詰めると「パブリック」の問題に行き当たる。僕が2010年『シェア』の翌年に『パブリック』を出したのはまさにここの問題意識。EUの「補完性の原理」はこの前ジェレミー・リフキンも言っていて、昨日のアマゾンやJPモルガンのヘルスケア企業設立のニュースのように、私企業(英米型)やNPO(欧州型)がテクノロジーを背景にどんどん従来の「公共サービス」を担うようになった今、「公」と「共」の再編・再考は必須。
注目のコメント
Publicに相当する日本語がないという指摘は、どっかで聞いたことがある。日本語だと「公=官」のイメージがあるが、本来なら違うもの。仕事では「公衆」と訳すことがあるが、「公共」よりもマシかな。
身近な日本語でいうと、Publicのニュアンスが;
・ほとんど感じられない「公」の例:公共事業、公共施設/公的施設、自助公助共助、公民連携、公立学校
・幾分か感じられる「公」の例:公共交通機関、公共の場、公共政策グローバリズムの問題を解決する糸口がオランダに???
パブリック、正しくは公共益であり、公私ニ元論の日本には存在しない概念。
日本ではあまり知られていないオランダという国ですが、私はオランダに住んでいたので、この記事はとてもおもしろいです!
住めば都と言われているオランダですが、ダッチはケチであるという評判とは違い、人々はとても優しく、来るものは拒まず、という全員を歓迎する国民性です。今思えば、これも公共益のためではないでしょうか。
週末になるとパーティーがあちこちで開かれていて、とりわけ、1年で1番盛り上がる王の日では、全員が国の色であるオレンジの服を着て騒ぐという、オランダ中で公共益を最大化するためのイベントが開かれます。
王の日の最も印象深い特徴として、誰もがその場でフリーマーケットができるというものがありますが、これこそ、公共益でしょう!アメリカや日本では考えられません。
日本は、オランダモデルを見習うまでもなく、明治以前の国民性として公共益とは親和性が高いと思います。まずはアメリカモデル傾倒をやめることからですね!