巨大企業ソフトバンクが見据える、戦力外通告の「次の道」

2018/1/13
まだ名刺交換をする姿も少しぎこちない25歳の新入社員。
伊藤大智郎さんは、昨年まで福岡ソフトバンクホークスの投手だった。2010年育成ドラフト3位でプロ入りした。順位が1つ下の育成4位は、昨年WBCに出場した「お化けフォーク」が代名詞の千賀滉大だった。2人は同じ愛知県の高校からの入団。お互いに意識をし合い、ともに切磋琢磨した関係だった。
だが、伊藤さんは育成選手の枠から抜け出すことができなかった。
大きなチャンスはあった。2015年に就任した工藤公康監督からは最初のキャンプで期待の若手として名前が挙がった。同年3月12日にはヤフオクドームでの巨人との1軍オープン戦に登板している。好打者の亀井善行から空振り三振を奪うなど1イニングを3者凡退に抑える好投を見せた。「開幕前に支配下登録があるはず」との情報も耳に入ってきた。
しかし、伊藤さんはその絶好のタイミングで右肩の不調を訴えてしまい離脱。“朗報”は結局聞かれなかった。
2016年も春季キャンプでいいアピールをしていたが、今度は右肘を故障。「トミー・ジョン手術」を受けたこともあり、昨年はずっとリハビリのみの日々だった。
育成選手で7年間も在籍した。3年ほどで見切りをつけられることが多い立場だ。異例中の異例と言えるが、それだけ期待をされていた証拠だった。
しかし、昨年10月28日、日本シリーズ第1戦がヤフオクドームで開幕する朝。同じ球場内にある球団事務所で、伊藤さんは球団から「来季は契約を結ばない」と通告を受けた。
つまり戦力外通告だった。
「覚悟はしていました。でも、誰でもそうだと思いますけど、頭が真っ白になりました。ただ、球団からはその日のうちに『次の道』についても、すぐにお話もしていただきました」

選手の次の世界で成功へ

どの球団でも戦力外通告はものの数分で終わる。ソフトバンクの場合、その後に別室に移動して、別の球団担当者からセカンドキャリアについて話をする時間が設けられている。
球団統括本部の本部長も務める三笠杉彦取締役に話を聞いた。
「実績を残されたベテランの方や現役続行希望が強い方などを除きますが、原則的に全員に球団も含めたソフトバンクグループへの『セカンドキャリア』の案内をするようにしています」
しかし、当日は伊藤さんのように「頭が真っ白」という選手は少なくない。希望者には後日改めて1時間ほどの面談の機会も設けているのだという。
「その中でどのような職種、業種に興味があるのか。希望する地域はどこなのか、などといったお話をしています」
少し前のプロ野球界は、たとえばJリーグよりも選手のセカンドキャリアサポートについてはかなり後れをとっていた。現在もリーグとして取り組むサッカー界に比べれば、球団や選手会が主導となっている野球界はまだ後塵を拝している感は否めない。
それでも長く取材を続けてきた筆者の視点ではその差は徐々に埋まりつつある印象を受けるし、特にホークスの取り組みはかなり積極的だ。
「特に11年に3軍制を採用して、その動きはより活発になりました」と三笠取締役は言う。
育成選手を毎年数人ドラフトで獲得しているため、ホークスの選手の保有数は他球団よりも10人以上多い。だが、プロ野球は当然「枠」の世界だ(支配下登録は70人)。若いながらに夢破れてユニフォームを脱ぐ選手の数も比例して増える。
「選手もソフトバンクグループの一員でありファミリー」が後藤芳光球団社長の持論だ。野球選手として大成しなくとも、次の世界で成功する機会を用意するのもプロスポーツ事業としての役割だと考えている。

プロ野球選手は魅力的な人材

スカウティングの際には保護者の方にも説明をきっちり行う。かつては育成枠でのプロ入りに難色を示されることもかなり多かったようだが、「ソフトバンクなら安心して送り出せる」との声も増えているという。
「このオフは、さらに積極的に」と後藤球団社長が号令をかけたこともあって、今オフにホークスで現役引退を決意した5人の選手全員がホークス球団職員もしくはソフトバンクグループで採用されることになった。
先述の伊藤さんはファンサービス部、東方伸友さんと柿木映二さんはスポーツ振興部に配属となった。また、かつてホークスでプレーし、昨年阪神で引退した柳瀬明宏さんも入社してスポーツ振興部に所属する。
星野大地さんと吉本祥二さんは東京のソフトバンク本社でサラリーマン生活をスタートさせることになっている。
「過去にもホークスで引退をしてホークス球団職員に転身したり、本社勤務になったりした先輩たちが何人もいました。その彼らの働きぶりが高く評価されているからこそ、また新しい人材の供給につながっているのです」
三笠取締役は「プロ野球選手は魅力的な人材です」と言葉を継ぐ。
「彼らは子どもの頃からずっと、目標に到達するための課題を自ら設定して取り組み、その成果としてプロ野球という門戸の狭い世界に入ってきた。そのような成功体験があります。また、人前でしゃべったりパフォーマンスを披露したりする経験を、一般人とは比べものにならないくらい若い年代から積み重ねています。それは強みですし、世にそれほど多くない人材です」
「それに一般企業で大学の体育会出身者を好む場合もあるじゃないですか。それが普通でプロ野球出身者は特別という論理は違うのかなと思います。なので、取り立てて変わったことをやっているつもりはないのですよ」
今後は「就職」という形にとらわれないキャリアサポートやマネジメントなども実現できればというビジョンも描いている。
そしてセカンドキャリアを歩み始めた伊藤さん。
「現役に未練がないわけではありませんでしたが、養っていく家族もいますので早めに決断をしました。これからの仕事へのやりがいも感じています。野球って、どれだけ練習しても何が本当に正しい答えなのか見つからないんです。それが魅力でもあるのですが、今の仕事は『コレ』というものをしっかりやれば、目の前に成果という答えを導き出すことができる。それは野球の世界にはなかった魅力だと感じています」
選手経験者がファンクラブの担当者になるケースはホークスとして初めてになる。これ以上ない経験を生かした魅力ある施策が今後生まれることにも大いに期待したい。
(撮影:田尻耕太郎)