障がいとは何か。2020年大会に向けて、取り組むべき課題

2017/12/5
先日、東京で行われる2020年オリンピック・パラリンピック競技大会に向けたシンポジウムのパネルディスカッションにパネリストとして、パラトライアスロンの秦由加子選手、パラリンアート理事の中井亮さんと一緒に登壇させていただきました。
今回のパネルディスカッションは全国の市議会議員の方たち向けのものでしたが、私自身が「障がい」とは何か、これからみんなでどのような世界を作っていくのか、社会での在り方や生き方、人との関わり方などについてもさらに深く考えるきっかけとなりました。
秦さんの「義足は皆さんにとってのメガネみたいなものです」という言葉が強く印象に残っていて、強く自分らしく生きようとしているからこそ出てくる言葉だと私は思いました。
視力が悪いからメガネをかける、脚がないから義足をつけるといったように、ただそれだけのことであって何も特別なことではない、ということを秦さんはおっしゃっていました。
性格や能力は、障がい者も健常者も関係なく十人十色の特性で、脚がないのも、手がないのも、目が見えないのも、耳が聞こえないのも、その人の特性。
そういう特性があるからこそできること、できるようになったことがきっとたくさんあって、その特性を最大限生かすために自分の特性を知り、それを受け入れて社会で生きようとする点において、障がい者も健常者も変わらないと感じました。むしろ、障がい者の方が自分自身の特性を深く理解しているような感じもしました。
私自身、障がい者という言葉を使うのがあまり好きではありません。説明する上での認識上、この言葉を使わざるを得ないのですが、この言葉を使うこと自体が差別のように感じるからです。

日本とドイツの違い

海外で生活をしていて感じるのは、障がい者に対する周りの接し方が、日本のそれとは明らかに異なるという点です。
例えば、ドイツでは歩道と自転車道が完全に分離されているので危険度は低く、車いすトイレが多くバリアフリーが比較的進んでいるという印象を受けました。
市バスなどはほとんどフルフラットのバスで、車いす使用者が乗客の助けを得ながら簡単に乗り降りすることが可能になっています。パーソナルディスタンスが比較的近いので、こういったことは車いす使用者の方を助けるだけではなく、健常者同士のやりとりにも見られる光景です。
以前、私が大きなスーツケースを2つ持って階段を上ろうとしていたとき、通りがかった若い男性の方が「持ってあげるよ」といって上まで運んでくれたことがありました。
すべての人がこのような心を持っているかといったらそうではないと思いますが、こういった場面に遭遇することは比較的多いと感じます。

日本サッカー界は連携開始

さて、日本サッカー界における障がい者との関わりはどのようになっているでしょうか。
これまで日本では、障がい者サッカーと健常者のサッカーは組織的な連動を行っていませんでした。2014年5月に日本サッカー協会が「グラスルーツ宣言」を発表してから、障がい者サッカーとの連携に着手しました。
これを契機に初めて7つの障がい者サッカー競技団体とJFAが一堂に集り会議を重ね、2016年4月に一般社団法人日本障がい者サッカー連盟が設立されました。
障がい者と健常者の壁を取り払っていくためにはこうした連携は必要不可欠で、サッカーだけではなくさらに多くの競技団体がこのような連携を取れるようになれば、もっと生きやすい社会を作っていけるのではないかと思います。
2017年のブラインドサッカー日本選手権に出場する選手たち
イングランドでは健常者のサッカークラブが障がい者チームを持っているのが当たり前で、1200以上のクラブが障がい者のチームを抱えているそうです。日常レベルで障がい者の人たちと関わる機会が多く、幼少期にそれが当たり前として育った子どもは、障がい者に対する偏見や差別も少なくなるような感じがします。
これは、秦さんのお話を聞いてさらに強く感じました。

障がいは肩書のようなもの

秦さんが小学校に講演しにいくと、子どもたちは秦さんの義足を不思議そうに、触ってはいけないもののように見るそうです。それが秦さんの一言で触ってもいいということがわかると、まるでおもちゃみたいな感覚で興味を持ってくれるそうです。
そして、帰るころにはすっかり義足が身体の一部だという認識を持つようになるそうです。
そういう人たちと触れ合う機会がないと障がい者への認識も生まれませんし、当然、理解も深まりません。
私自身、そういった障がい者の方たちと接する機会は幼少期からそれなりに多かったと感じていますし、海外でプレーするようになってからその機会は次第に増えたように感じます。
そこから私が考えたのは、障がい者だからといってその方を特別扱いする必要はなくて、一人の人として接することが私にできることであって、私自身がそうしたいと思ったことでした。
変に気を使うのではなく、いつも通り、健常者に接するように接することが障がい者のみなさんにとってもうれしいことなのではないかと考えました。
障がい者のみなさんにとって「○○障がい」というのは一つの肩書のようなもので、もちろんそれが特性でもあるのですが、同時にそれが足かせとなる場合もあるような気がしました。

肩書が最初に来ると……

それを自分に例えると、「日本代表」「W杯チャンピオン」「メダリスト」といったようなフィルターを最初に通して“私という人間”を見られるのと同じような感覚で、人としての部分が来る前にそういった「肩書」が最初に来てしまうと、健全なコミュニケーションが取れず、心の結びつきが太い人間関係を構築できずに終わってしまった経験はこれまで数多くありました。
出逢ったすべての人とそういった関係を築く必要はないと思っていますが、肩書や立場とか関係なく分け隔てなく助け合い、支え合える社会になることを私は願っています。そのためにはいろんなことを知る必要があります。できるだけ賢くなる必要があると思っています。
これから2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、そしてその後の未来に向けて私たちが取り組むべき課題は、「障がい」という限られた部門だけでなく、人種や宗教やその他のあらゆるものも含めてさまざまな人たちと自分(たち)との差異を認識し、受け入れ、すべての人が社会の一員として活躍できる環境作りが大切になってくるのではないかと感じます。
誰もが自分の輝ける場所を見つけられる社会を目指して。
(写真:長田洋平/アフロスポーツ)