「独学」できる人しか生き残れない時代になった
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学び続ける人とそうでない人の差が開き、それがテクノロジーによって可視化されることで「市場価値」にも明瞭に差が出てきそうです。学ばない人、学びたくない人にとっては、テクノロジーの進化は脅威かもしれませんね。
昨年の米国・SXSWeduで、ゲームデザイナーのJane McGonigalは、「今社長という肩書きを持っている人でも週10時間の(オンライン)学習をしないとその地位に居続けることは出来ない」と話してました。
高品質なオンライン学習が普及していて、どの領域でも独学はし易くなっています。ただ、ずっと一人だと難しいという方も多いようで、例えばシカゴ市立図書館等では同じオンライン学習のコースを受講している人たちが定期的に図書館に集まり、進捗状況や継続する上でのヒントを共有する機会があります。
「独り」と「コミュニティ」。これからはこのブレンドが重要になってくると個人的には考えています。部活を卒業し、高校受験の無い私は、放課後の使い方を校内のメディアライブラリーで過ごしています。
8万冊の本に囲まれ、その日の気分で、生物や統計学や歴史の本を読んでいます。
人生は選択の連続なので、その時に悔いのない選択を補完できるのが、知識や情報です。自分の活路を広げたく、独学をする姿勢を継続していきたいと思っています。「MBAを取らずに外資系コンサルになった」ことがどうすごいのか私にはわかりませんが、私の知っている外資系コンサルの友人は誰一人として入社前にMBAを取った人はいません。
マーケティングのフレームワークが長期に通用しなくなっているのは、私の言い方ではこれまでの意味における「マーケティング」という概念自体が成立しなくなりつつあるからで、人為的にボリュームゾーンを狙ったマスマーケティングをやろうとし続けている以上、どんな新しいフレームワークを考えてもすぐに通用しなくなるのだろうと思います。
じゃあどうなるのかといえば、有り体にいえばニッチに対応できるマッチングデザインがマーケティングに代わるのだと思います。マッチングもマーケティングの一部だと考える方もいると思いますが、マッチングは「マーケット(市場)」をターゲットにしていないので、根本的に異なる概念だと思います。
独学じゃないと生き残れないとか、知識負債という考え方は、勉強した分稼がないともったいないという発想によるもので、知を愛する愛知県民としては悲しさでいっぱいです。
世の中に本当に「普遍的」なものなどありませんが、それでもキログラム原器よりはプランク定数の方が普遍的であると考えることができるように、相対的な差というものはあります。その意味において、科学(のごく一部)は相対的に普遍的と見做せるものがあるので、知識負債が気になる人は「集合論」や「熱力学」でもやられるのをオススメします。ただしカネにはなりませんけどね。