もしSNSで「死にたい」を見つけたら…精神科医が語る、みんなにできること
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"調査をすると、だいたい自殺してしまう半年〜3ヶ月前に「死にたい」と言っていることが多いんですね。"とは、自殺する人がサインを発することが多いという訳で、サインを出す人が自殺しがちというのは、些か言い過ぎではと思う。
注目のコメント
自殺を誘発する大きな要因は、人とのつながりがないこと。そんな中、最後の望みをかけてシグナルを発信する場がSNS・ネットだったいう理解は、非常に大事だと思います。予防のためにも分散型の居場所・コミュニティ作りが必要です。
▼事故でも病気でもない!若者の死因の第一位が「自殺」という国-子どもや若者を行き詰まらせないために必要なこと
https://children.publishers.fm/article/16277/「これまでの自殺研究でわかっていることがある。自殺を誘発する要因だ。大きいのは、人とのつながりがないこと、「自分の居場所がない、だれも自分を必要としていない、生きていることは迷惑になる」という感覚を持ってしまうことにあると言われている。」
死にたいという意思を言葉にしたサインをただ投稿を削除して抹殺するんではなく、SNSでも、現実の場でも、どこでもいい、コミュニティにつなげることが大切なんじゃないだろうか。
これは自殺者だけでなく、地域の高齢者、マイノリティを含めて同じ。コミュニティを作って、そこに参加してもらえるようにデザインしていくことが、回り道に見えて、人々が幸せ(well-being)になる上で一番重要なことかもしれません。>自殺する人は直前まで迷っていることが多い。
自殺したくてどうしようもなかった時、自分が生きていることがどれだけ迷惑なことかをずっと考えていた。
夜の間に死ぬことを決意して、朝、母親と妹が家を出た後に、携帯も持たずに一人で山に登った。
あの時歩いた山までの道は、今でも忘れられていない。
道端で泣き出しそうで、目の前の川が、山がぼんやりと滲んだ。
涙を堪えて山に登り、ずっと飛び降りたいと思っていた場所に腰を下ろした。
そこからの景色が好きで、ここから落ちれば景色に同化してしまえると思った。
何時間も同じ場所に座り続けた。
ずっと迷っていた。死にたいわけじゃなかった。
ただ楽になりたかった。
どうしてこんなに辛いのかを考え、死んでしまったらその辛さからのがれられと思った。
山を降りたのは、死ぬことをやめたからではなかった。
探しにきた高校の先生に見つかったからだった。
家に帰った時、泣いている母親を見て私も泣き出した。死んでしまえればよかったと思った。
そこに存在していることが辛くて仕方がなかった。
一昨年の秋のことである。
こうして私はシアトルに飛び出してきて、楽しいことを見つけながらなんとか今を生きている。
未だに死にたくなることも多いし、人前では泣けない。
人に迷惑をかけるようなことが起こると、しばらく何も手につかなくなる。
それでも生きている。
50センチばかりのバリアをなんとか周りに張り巡らせながら、生きている。
まだ「死にたい」と素直に言える場所はできていないけれど、私と同じような人たちを集めて、そういった"場所"をつくっていけたらなと思う。