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「広島は被爆してない人が行って騒ぐところなんだ」 語りきれない原爆体験を抱えた学者の思い

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  • 記者/ノンフィクションライター

    戦後を代表する政治学者、丸山眞男と広島について書いたものです。丸山は8月6日に広島で被爆していたのに、しかし、さいごまで原爆体験を語ることは少なかった。語れない「広島」はなにを意味するのか。広島について語られることがすべてなのか?ーー。


  • 丸山真男が自らが被爆していたということを明かさず、語ることもしなかったことの知的誠実さに関する記事であるのに、NewsPicksに限らないのだろうがほぼ中身と関係ない右派プロパガンダ的コメントが書き込まれるこの状況こそが、72年という時間なのだろうなと思う。
    NP含め原爆投下の日を知らせるネット記事のコメント欄をみていると、まだ今年のうちは奥歯にものの挟まった言い方で書かれているにすぎないが、二年か三年もたてば「日本もこのような呪縛に囚われている場合ではなく核武装をするべきであり、それがリアリズムなのである」といった主張がおおっぴらに書かれるようになるだろうと想像している。

    思うのは
    ・8月6日、8月9日に原爆を語る言葉の量は時と共に減らすのではなく、むしろ増やすべきである。
    ・体験者自身による「語り」が減っていく宿命の一方で、データを洗いなおすことによる分析はむしろより充実させていくことが可能である。平和祈念館をはじめとする膨大なアーカイブをどう活かすかの試みはむしろこれからできることが多い。
    ・議論をタブー視するのではなく、感情は一旦置いて核武装論とも対話をすべき。「かけがえのない体験があり、だからダメなのだ」では、体験者がいなくなった時が核武装の最大のチャンスということになる。なぜ核武装はダメなのか、議論を通して論理の精度を高める努力が核廃絶のためには必要だ。

    もっとも危惧するのは、ヒロシマとナガサキを軸とした左右対立が、かけがえのない地であるヒロシマとナガサキを、靖国神社のごとき歴史戦の舞台に変えてしまうのではないかという恐れである。
    靖国が手放しで賞揚されるべき場であるとは私は思わないが、立場はどうあれ、戦没者への鎮魂の場であったはずの場が、そこに出入りするだけで政治スタンスを取り沙汰される歴史戦の舞台になってしまったのは悲劇だったと考えているし、そうしてしまったのは議論の欠如であったと思う。ヒロシマとナガサキをそのような悲劇に導いてはならない。


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