合わない人、嫌いな人は あなたを成長させる「化身」
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注目のコメント
合う人なんて殆どいないので、わざわざ合わない人に会う必要はないし、生きること自体が既に修行だ。
煩悩は人を惑わすが、それがなければいきていけない。
現代では、「Wi-Fiに接続したい」という煩悩がかなり強いが、ブッダはそんな時代が来ると想像しただろうか。
煩悩にも色々あるが、ブッダはうまく分類できていないように思われる。特に、大脳基底核で起きるルールベースの短期的欲求と、前頭前野で起きる推論過程を含む欲求では、その報酬回路の構造が異なる。
執着とは、現代の脳科学で言えば「habit化」に相当するだろう。自分にとって良い出来事と自分との強い結びつきを形成することだが、これがなければ人間は個性を形成することは出来ないだろう。
偏見は、言い換えれば人間の認知バイアスであり、効率的に情報処理するための必要な能力だ。
つまり、これらは人間がいきていく為に必要な要素であり、単に努力で捨て去ろうとすれば、己の魂を傷つけるだけだ。だから荘子は過度な禁欲を伴う修行を否定した。
「撰集百縁経」のエピソードは、今回の記事にあまり合っていないと思うが、その上で敢えてコメントするなら、神の教えの代償に財宝なり家族なり自分の身を授けようという発想そのものがおかしいのであって、対価を求める神などというモノの道理を理解していない対象に教えを請うのはそもそも矛盾している。そんな話に乗って来る神などそもそも信用してはいけない。
ブッダもまだまだだな。恋人など自分にとって大切な人が同じ境遇にいたとしたら、立ち向かえと言うか逃げろと言うか。その通りの言葉を自分に掛けてあげて良いと思います。例えば筋トレだって休み休みの方が良いように、成長だって休み休みで良いんです。無理することはありません。
〈追記〉femtoさん、コメントありがとうございます。頑張らない時間も大切ですよね!