この連載について
40歳は不惑の年と言われるが、現実には惑うことばかりだ。体力は全盛期より衰え、育児や介護など家庭責任が重くのしかかる。仕事もいま現在は「働き盛り」だが、キャリア人生を山だとするなら、あと一山も二山も乗り越えなくてはいけない。ましてや人生100年時代の到来すると言われる。寿命が伸び、年金支給年齢も上がれば、健康寿命の70歳代まで働く時代が当たり前になるはず。となると、40歳はまだ長いキャリアの折り返し地点にも来ていない。では今後、第二、第三の働き盛りを作るためには? 「40歳=若さで勝負することも、貫録で勝負することも難しい年齢」がサバイブしていく方法を模索する。
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学びの本質が垣間見得ます。楽しいと思えることが見つかった時点で、学びは始まっていますね。
佐山さんのお話はこれまで直接間接何度か伺っていますが、含蓄のある言葉を柔和な表情で気取らず話されます。そのお人柄に惹かれる方が多いのでは。
ご参考まで、NYUは品川にサテライトキャンパスを持っていて、会計学等Professional Studiesを学べます。先日ご縁を頂いて同キャンパスに行く機会がありました。学位取得は出来ないようですが、NYUの一端を知ることが出来ます。
http://www.sps.nyu.alitokyo.jp
人生100年時代において、私は社会に出てから25年が経ちましたが、あと25年は働く必要があると感じています。普通はこのあと、後進の育成に努めたりすべきなのかもしれませんが、25年も救育者的立場だけでやっていけるほど甘くもないし能力もありません。
ここ最近は、心臓外科医として働きながら、新潟県での僻地診療やロシアへの遠隔医療事業、NPO法人が行っている学童保育活動への協力など、マルチキャリア風に人生を楽しんでいます。
こういった活動の中で、新しく学ぶことも見えて来たりしています。今後25年のキーワードは、軸足は医療に、世の中にとって良いこと、アイデンティティを感じられる土地で、だと思っています。
そして、面白そうだと興味を感じたら、すぐ行動に移す。また、それを飽きっぽくすぐ手放すのではなく、最後までやり抜く。
流行りの「多動力」とグリットが重なったイメージです。
インタビューの最後でまだ「建築家と司法試験には未練がある」とおっしゃられたのには度肝を抜かれました。
相変わらずすご過ぎて普通の人には全く真似できないし、参考にならないですね。だから人から尊敬されるのです。
"人生を「ホップ・ステップ・ジャンプ」に例えると、63歳になった今が「ステップの“ス”」の段階です。"
学びにはけっこうなお金がかかる。フルタイムで学校に通おうとすると授業料だけでなく、収入がなくなるという機会コストも生じる。佐山氏のように社会人をしながらなら学ぶという、一部をお金から時間の投資に振り向けることが、一般的には現実的ですね。
それにしても、社会人をしながらMBAを2年で、PhDを3年で取得というのは驚異的。
何時迄も叫ぶほど学びたいことは出て来るもの。そして、大学に集うからこそ、客観的に見える学びがあるものです。昨日、博士課程3年生の発表を聞いてますますそう思いました。
私は来年博士論文を絶対出さねば!
「始めるのに遅すぎる」ってことはないってことですね。ありがとうございました。
<追記>
とりあえず、40歳でIronmanになりました。ワクワクに溢れた40代にしたいと思います。