テレビが「簡単に終わらない理由」と、テレビが「本当になくなる日」とは?
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テレビは強い。ネットが伸びたが、それは新聞・雑誌やラジオを食ったもの。だけどいつまでテレビが強いかはわからない。佐々木さんも言うとおり、Netflixなどが巨額の資金をコンテンツに持ち込んでいることが状況を変える可能性があります。
テレビ局は今のうちにテレビ局たることを脱する仕込みをしていい。もちろん各局は気がついていて手も打っていますが、その踏み込みと速度をこれまで以上に高める必要がありましょう。ネット広告がクライアントサイトへの
クリックによる誘導手段に止まりその最適化をアドテクやデータ分析を追求する限りはテレビ広告費とは別枠。但しネットコンテンツやネット広告の視聴状況がビューアブル計測技術で可視化できクリック以外の価値をうちだせるとテレビ広告費は比較の対象になるだろうな。その時は広告の視聴はもとより広告をラッピングするメディアコンテンツのクオリティ自体が問われる。同じくテレビコンテンツのクオリティも問われる時代がそこにきていると思う。ネット広告が仮にテレビ広告を超えたいのなら広告質だけでなくコンテンツ質も同時に問い直さないと
かわらない。テレビ広告が新聞広告をこえたのは広告の力でなくメディアコンテンツの力だから。そんな時代がきている。クオリティメディアの時代。なんか本質からずれている気がしますけどね。
テレビがなくなる、なくならないということではなく、今問われているのはテレビメディアとしてのビジネスモデルの問題だと思うわけですよ。
制作費を削らないで良いコンテンツを作ればいいという話じゃない。
もはやあまり意味のない世帯視聴率ばかりを気にして、スポンサー企業の顔色ばかりを気にして、リスクのない「誰からも文句を言われない」コンテンツを皆が作ろうとするから、どこも同じような番組になってしまうのではないですか?
実は、いいコンテンツを作ろうとする番組制作者はたくさんいるし、たくさん知ってます。けど、そういう彼らの企画は通らないという現実もある。
見る見ないという昭和のテレビのあり方(一方的な発信)ではなく、受け手側がどう関与する意味があるかどうかの問題に視点を変えていくべきだと、僕は思いますけど。