【堀江×西野】「オール3」の成績に何の意味もない
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注目のコメント
少し話がそれるのですが、そもそも僕はテレビの『ひな壇』は、これからかなり苦戦すると思っています。
それを語るには、「なぜ、『ひな壇』とが生まれたか?」から始めなきゃいけないのですが、『ひな壇』という形は1980年代『元気がでるテレビ』から存在しました。
しかし、そこまで普及することはありませんでした。
ところが、2000年に入った辺りから、どのチャンネルをひねっても、『ひな壇、ひな壇、ひな壇』
その背景に、何があったかというと"薄型テレビの普及"です。
皆の家に大きな大きな画面の薄型テレビが置かれ、皆の家のテレビ画面の面積が大きくなりました。
画面面積が大きくなったもんだから、それに合わせて登場人物も増やさないと、絵としてバランスが悪い。
そこに、登場人物が多い『ひな壇』という形式がスッポリ当てはまったと。
ただ、今は、スマホでテレビを観るようになってきています。
画面は当然小さいです。
この小さい画面だと、登場人物が多いと、単純に見にくい。
「面白い」「面白くない」ではなく、「スマホでは見にくい」。
以上の理由から、僕は『ひな壇』はテクノロジーによって生まれ、テクノロジーに殺されると考えています。
どうせ得意ではないし、文化として殺されてしまう可能性が多分にあったので、『ひな壇』に時間を使うことを一切辞めました。以前「人口知能が落ちこぼれのない教育を実現させる」(※)という記事を書いた際、ある方から「これからの社会は落ちこぼれを個性として認める時代になるのでは」との指摘を頂きました。
確かに、「落ちこぼれ」はネガティブな言葉で使われることが多いと思いますが、翻って考えればその他の分野では能力があるかもしれないということ。
個人的には、土台となる基礎学力は必要だと思っています。ただその上に積み上がっていくブロックは、ある分野ではとても高いところまで積まれてるけれど、他の分野では以降ブロックが積み上がらないという状況があっても良いのでは。
堀江さんが記事内でコメントされている通り、テクノロジーが社会に入って来る前は、自分で全部こなせる必要があった。そのため、ある程度多くの領域で3を取る必要がありました。
ただ、今はその人の能力を可視化出来つつあり、どのような能力を個々で有しているかが以前と比較して分かり易くなっていると感じます。
そうなった時に、果たしてオール3が必要なのかどうか。
会社の平均寿命は約25年と言われ、ビジネスのスピードの速さやM&A等合併・統廃合により今後更に短縮されていきます。
一方で、人の寿命は延び続け、70才まで働くことが普通になる時代もそう遠くないと言われています。
そうなると、これまでの1社で最後まで全うするという人は少なくなり、複数回の転職やフリーランスでいくつも仕事を掛け持ちするという人が多く出て来る社会になると考えられます。
その場合、いくつか5以上のものを持っている人に有利になりますね。
ただ気になっているのは、以前あるキャリアアドバイザーをされている方が話してくれたことです。「オールラウンドで、何でも平均点を取れる人材が日本の大手企業ではまだまだ人気があるよ」
※http://best-times.jp/articles/-/4575