自己責任を求める成功者たちにつけるクスリ
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【ブログ更新】自分は自分の力で頑張ってきたんだという強い自意識があるから、社会的な弱者に対して「他人のせいにするな」と平気な顔で言い放ってしまう。自分が成功したのは自分ががんばったから、そして、他人が成功しなかったのは他人ががんばらなかったから。あまりにも単純で、あまりにも狭い。物事の複雑な因果を一つの偏狭な図式に当てはめて理解し、それによって成功者としての自分の過去に肯定的な価値を与える。今日もまた一人、また一人と、成功者たちが「自己責任論」のダークサイドに墜ちていく。
本田氏のツイートは、「こういう統計結果を見て自殺者の多さをすぐに社会や政府のせいにする人々」に対するもので、自殺をした人やこれからしようとしている人の自己責任を問うものではないでしょう。
望月氏はそうとは限らないと反論するかもしれないが、それは不自然だ。
なぜなら、もしこのツイートが自殺者や自殺志願者に対するものならば、この自殺統計のニュースをみて死にたくなる人がいると想定しなければならないからだ。
確かに社会の前提となっているものを無視するかの如く、成功は自分の才能と努力と言わんばかりの自己責任論を振りかざす人もいなくはない。でも、実際にはそこまでの人は殆どお見かけしたことがない。
海外の有名人の言葉を引用して、他人の言葉を揚げ足をとって上から目線で説教するのも、いかがなものかと思ってしまいますが。SNS上で話題になっている本稿。
まず、自殺者が「他人のせい」や「政治にせい」にして自死を選ぶというのは全くの見当違いであるということ。それから、社会的・経済的な成功者に「自己責任論」が跋扈しているということ。この二点に関しては極めて同意である。
自殺という行為は、文字通り自らを殺める行為であり、これは自らを責めるに責めた上で、どうしても自分を許しがたい者と考えるに至っての行為であることが、多くの人が分かっていない、というのは常日頃思うことだ。
一方で、社会的・経済的な成功者に、結果全て自己責任論に帰結させる傾向が高いのも、常日頃感じるところだ。自らの成功のほとんどが、生まれ持った運や時の運、そんなものに殆ど左右されていることを無視する傾向がある。どんな両親の下でどこに生まれ、誰と出会い、何を体験したか。「自己責任だ」と他人を批判する成功者は自らがいかに恵まれているか、もしくは、いかに「運」が良かったかということを考える必要があるのは事実だ。
しかし、本田選手のこのツイートが果たして、そういう「成功者」ゆえの「自己責任論」かと言うと、私には分からない。繰り返して言うが、自殺者(ないし自殺願望者)に真面目な性格の人が多く、全てを「自分のせい」にして背負い切った上で、自死という選択を行っている。これが分かっていない人は多い。本田選手も単にそういう人たちの一人であるだけなのかも知れない。
私自身も偉そうなことは言えないが、自分の価値意識では理解し難い人や事態に遭遇したときは、まずはその人の気持ちに成り替わる思いやりや優しさが必要だと強く思う。それは「俺だったらこうする」と言うような、他者に自己投影するというものではない。その人になりきり共感をするということだ。これは、今の時代、日常生活や家族との関係、友人関係に限らず、ビジネスでも今最も重要なスタンスだと私は考える。